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Darwinia
開発/販売: Introversion Software - 2005
プラットフォーム: PC



■サイバーに萌える者達のバーチャルなイコン

Introversion Softwareの連中は生粋のオタク集団だ。何せ社名からしてIntroversion(内向的) Softwareだ。自他共にオタクと認めるこの小さなスタジオ、しかし彼らが萌えているのはモニターの先の美少女ではない。美少女をあなたのPCへと繋ぐネットワーク、サイバーそのものに萌えている。

彼らはサイバーにただ萌えているだけでは飽き足らず、その思いを形にする。それも絵画ではなく、映画でもなく、サイバーに最も隣接するコンピューターゲームという表現形態を使って。これらは彼らにとっての偶像であり、我々が彼らの思いに隣接するための装置なのだ。

■『Darwinia』はアートである

『Darwinia』の舞台はDarwiniaと名付けられた電脳空間。そこではDarwinianというデジタル生命体が住んでいる。しかしある日突然発生したウィルスによってシステムは崩壊。Darwinian達も絶滅の危機に瀕していた。主人公はたまたまこのネットにアクセスしたハッカーとなり、この電脳空間の創造主であるDr. Sepulvedaの助力を得ながらDarwiniaの平和を取り戻さなければならない。

開発を手がけたIntroversion Softwareは、メインのメンバーがたったの4人という小さなスタジオだ。ここは本作の以前には『Uplink』という疑似ハッキング体験が出来るRPGを、また本作の後には『DEFCON』という核戦争指揮を体験できるRTSを開発している。その中では一貫してサイバー、或いはバーチャルをテーマにしており、そして今回の『Darwinia』もネットの先にあるバーチャル空間を舞台としたRTSとして描かれる。

本作を語る上でまず留意しなければならないのは、これはインディーズならではのアクの強さを持った作品だということだ。確かにこのゲームは他の商業作品と同列にみた場合、凡庸で粗野な部分も多々見受けられるであろう。それどころか中にはわざと遊びやすさを犠牲にしている節すらある。しかしそのようなデザインにしてでも彼らが尚貫き通そうとする「何か」を汲み取ろうとすることが、このような作品と向き合う上で重要なのである。

めくるめくDarwiniaの世界にようこそ。


■極端にカリカチュアされて描かれるバーチャル空間

この作品を見てまず面くらうのは、その一風変わったグラフィックスだろう。映画『TRON』を彷彿させるようなワイヤーフレーム剥き出しのレトロフューチャーなデザインは、取っつき難さを覚える人もいるかもしれない。

しかし本作の舞台が本来実体の無いバーチャル空間であるという事を考えれば、この視覚表現は適切だと言えるだろう。この具象的すぎず、尚且つ抽象的すぎない塩梅は、バーチャルがバーチャルそのものであることを賛歌する開発者の姿勢が汲み取れて面白い。

また大手の作品に見られる一辺倒な写実主義では、予算も人員もまるで敵わない製作規模の中で、それとは真逆の絵作りの方向性によって視覚的な魅力と労力の削減を両立できているのも評価できる。

さながらスペースインベーダーをそのまま立体化したかのような世界とも言える。

■Darwinianというキャラクター

前項の延長線上の話になるが、本作の際立ったビジュアル表現の中でも、特にマスコットキャラクター的存在である、Darwinianの造形は傑作だ。ドットで描かれた棒人間そのもののそれは、一見するとペラペラだしポーズもずっとこのままだしで、まるで生を実感できない。ところがゲームを進めていくと、彼らは実に多様な行動様式を見せてくれ、あたかも本当に生きているかのような印象を与えてくれる。

例えば普段マップに居る彼らは周囲をウロウロしているだけだが、ウィルスが迫ってくると声とも取れない鳴き声を上げて逃げ惑う。それがゲームを進めていくうちに武器を手にして戦うようになるだろう。更には戦車を駆り、Darwiniaの世界の様々な要素に自らインタラクトしていくようになる。

また彼らをRTSというゲームの枠組みの中で見た場合、他のユニットと違い唯一プレイヤーが操作できない存在として描かれているわけだが、それはゲーム性云々以上に演出上極めて重要な役割を持っている。つまり半ば勝手気ままに動き回るDarwinian達を、如何に誘導していくかがゲームの鍵となる以上に、そんな彼らの自律性が「デジタル生命体」という設定に説得力を持たせているのだ。

砲台でウィルスに迎え撃つDarwinian。本作では常に彼らの自律性が強調されている。

■具現化された自閉的ファンタジー

上記のビジュアル表現に、より深みを与え魅力的なものにしているのがストーリーや世界観設定だ。ビジュアルが極端に要素を限定して表現していたのと同じように、物語においても殆どがDarwiniaを開発したというDr. Sepulvedaの語りのみで紡がれる。またその内容も、そもそもDarwiniaという電子空間は世捨て人であるDr. Sepulvedaのごく個人的な研究だ、という基本設定から分かるとおり非常に自閉的だ。昨今の大作で描かれるようなスケール感とは余りにも程遠い。

しかしその小さく閉じた世界の中はとても濃密に描かれる。Darwinia誕生前夜からDarwinianの生態、社会構図やウィルスが発生してからのその戦い等などの設定が事細かく作られていて、それをDr. Sepulvedaの独白のみで至り知っていく所に独特の叙情感を感じる。

この場合、Dr. Sepulvedaの部分をそのままIntroversion Softwareの開発者達と言い換えても良いかもしれない。本作のキャッチコピーである「a digital dreamscape」からも察せられるが、Introversion Softwareの開発者達はサイバーなもの、バーチャルなものに、何かそれ以上のものを感じているのかもしれない。

かつてヘンリー・ダーガーというアウトサイダー・アーティストが居た。彼は60年間誰一人それを見せることなく、世界一長い長編小説と呼ばれる『非現実の王国で』という作品を作った人物だ。『Darwinia』もそれと同じ、とするのは流石に言いすぎとしても、少なくとも方向性としてはそれに近似するものがある。ヘンリー・ダーガーの場合、それは少女に対する偏執的な願望のようなものであり、Introversion Softwareの場合それはバーチャルやサイバーなものに向けられている。そして彼らのそんな思い、或いは萌えと言ってもいい感覚が、心象風景を具現化したかのような、自閉的ファンタジーを作り出しているのだ。

頭の中お花畑ならぬバーチャル畑?いやいや、褒め言葉ですよ!

■徹底的な拘りとその弊害

本作のビジュアルや世界観が魅力的なのは徹底的な細部への拘りがあってこそのものなのだが、それはゲームとは直接関係無さそうな部分にまで及んでいる。

例えば本作はゲーム起動の度に毎回違ったオープニングデモが流される。それは昔懐かしのローディング中のスペクトラムを再現したもの、ライフゲームをDarwinianでやってみたもの、中には映画『Matrix』のカタカナ文字が流れる場面をパロディしたものまでと多種多様だ。

正にオタク集団Introversion Softwareの面目躍如と言った所だが、と同時にアニメで良く見られるCM前後のアイキャッチ的な面白さも感じさせる秀逸な演出だと言える。

また本作ではゲーム中のユニット選択画面をタスクマネージャと呼んだり、他にも全ての要素をコンピュータ言語で表わすところも徹底している。彼らは間違いなくゲーム脳・・・ じゃなくてコンピュータ脳だ。

しかし中にはその徹底した拘り故に利便性を欠いている部分もある。代表的なのがユニット切り替えのショートカットがAlt + Tabになっている点。意図としてはコンピュータのアプリケーション切り替えコマンドと同一のものにしたかったのだろう。だがゲーム中のショートカットコマンドとしては使いづらい上に、本当のアプリケーション切り替えができなくなってしまう問題を生んでいる。

ただ余りにも不評だった為か、その点は後のアップデートで改善されている。これから遊ぶ人はその辺の心配はいらないだろう。

この独特のガーピー音にエクスタシーを感じるアナタは間違いなくコンピュータ脳。

■ゲーム部分だって悪くはない

ここまで『Darwinia』はアートだと言い張って、その部分を重点的に書いてきたが、それ以外のゲーム部分、つまりRTSとしてどうなのかという風に見た場合も、決して悪くはない。

厳密には本作をRTSと区分するのは語弊があるかもしれない。ユニットを生産、運用する所辺りはRTSらしいが、生成したユニットは移動から攻撃までほぼプレイヤー自らが操作する事になる。但しやたらめったら目先の対象を破壊していけば良いというわけでもなく、RTSらしい戦略性を問われる場面もあるので、RTSとACTのハイブリットと言い表すのが適切だろう。尚唯一Darwinianのみプレイヤーが直接指示を出来ない存在であることは前述した通り。

やってみるとRTSとACTのそれぞれの良さが中々上手くブレンドできている上、際立った問題点もなく意外と面白いが、難易度はかなり易しめである。その最もたる要因がユニットを何度も自由に生成できる点で、実質的にゲームオーバーがなく、根気強くやっていれば誰でもクリアできるようなデザインになっている。

総じて堅実な作りではあるが、やはり本作は雰囲気なんぼの部分が強いので、純粋なゲーム部分の良さのみを求めるのなら、他に優先するべき作品があるだろう。

■まとめ

僕の場合ヘンテコリンなゲームはそれだけで評価対象にしてしまう部分が少なからずあるので、些か甘い評価になってしまっているかもしれない。それでも本作は良い作品であると改めて主張したいし、多くの人に知ってもらいたい作品でもあるのだ。但し再三言ってきたように、兎に角ビジュアルや世界観、雰囲気が全てのゲームなので、そこにピンと来れない人にはお薦めできない。その辺好き嫌い真っ二つに分かれるゲームなんだろうとは思う。

尚本作は06年にGame Developers Conference内のIndependent Games Festivalにて、大賞と技術賞、ビジュアルデザイン賞の計三部門で受賞している。その当時は最後の独立系デベロッパとまで言われていたみたいだが、それが今やSteamやXbox Live Arcade等のダウンロード販売が普及して、このようなインディーズゲームは花盛りである。無論玉石混合でDarwiniaに匹敵するような作品はそうそう無いわけであるが、それでも独立系デベロッパが作品を開発、発表し、またそれが評価される環境ってのは、素直に喜ばしく思う。



参考リンク

Darwinia公式サイト
Darwinia on Steam

Darwinia @ wiki
スタパブログ: Darwiniaな12時間
Weird Comic Art - 「頑張れ小さなdarwinianたち」
4gamer.net - Access Accepted第189回:独立系デベロッパの逆襲
Wikipedia - ヘンリー・ダーガー

2008/12/05
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