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2010/02/17- 超えられなかった壁


『S.T.A.L.K.E.R.: Call of Pripyat』は三番煎じで新鮮味が無いし、色々と不具合があって快適に遊ぶ事すらままならないのでひとまず保留。という事でPandemic Studiosの『The Saboteur』をやっています。Pandemic Studiosと言えば『Star Wars: Battlefront』シリーズや『Mercenaries』シリーズで有名、日本でも『Destroy All Humans !』はそこそこ知名度があるのではないかと思うのですが、そんなこのスタジオも昨年閉鎖、本作が遺作となってしまいました。

その意味では感慨深い作品なのですが、しかしやってみるとこの内容では確かに閉鎖は止むを得ないかなぁという感じです。殆どの要素が他の作品と被っている上にどれも劣っている。一昔前はそれでも市場に取り入る隙間があったけど、今はもうそんな余裕は無く、少しでも外したら退場するしかない。本作はその様な時代に淘汰されていく中堅ゲームの典型の様に思えます。

作品の舞台となるのは1940年代、第二次世界大戦中のナチス占領下のフランス・パリ。主人公のSean Devlinはかつてはレーサーとして活躍していたが、親友のJules Rousseauをナチスに殺されると同時に故郷も追われてしまう。Julesの両親がパリで経営しているパブに匿って貰ったSeanはナチスに復讐をすべくイギリス諜報部と協力し、工作活動に身を染めていくというストーリー。


箱庭型のクライムアクションゲームで、具体的な内容は簡単に言えば『Grand Theft Auto』シリーズと『Assassin's Creed』シリーズを中心とした色々なゲームを、足して水で薄めた様な感じですね。車を使った移動や銃器によるシューティングの感覚は『Grand Theft Auto』を中心とした箱庭ゲームの王道的作りを踏襲し、そこに更に『Assassin's Creed』シリーズや『Hitman』シリーズから建物をよじ登るパルクールや変装等の要素を盗んできている。

本作の最大の問題は、作品コンセプトの殆ど大部分が他と被ってしまっている事で、上記したゲームの根幹部のデザインは元より、Perkシステムや観光シミュレーターとしての箱庭マップ等など細かいところに至るまで、どれもこれも何処かで見たようなものばかり。ただそれでも最終的には面白ければ何も問題は無いのですが、しかしこれらの諸要素が何一つとしてその原典より質が劣っているのが更に不味い。

例えばパルクールを見てみると、元ネタである『Assassin's Creed』と比べると操作性は悪いしモーションも制御しきれていないし、当然アクションの快楽性も低く『Assassin's Creed』以上に作業感が強い。マップの表情もそこまで多様じゃないのでその意味でもアスレチックの場として面白みに今ひとつ欠けるし、同時にこれは観光シミュレーターとしても冴えが足りないという事でもあります。


他の要素も大体こんな感じに一回り劣化しているので、そうなると本作の存在意義ってのは"多くの作品の良い所をそこそこな面白さで一度に味わえる"位しかありません。これが"そこそこ"ではなくて"オリジナル以上"であれば立派な売りにもなるのでしょうけれども、それが出来ないのが本作及びPandemic Studiosの限界なのでしょうね。ハッキリ言って洋ゲー初心者ならまだしも、上記した元ネタを既に遊んだ事がある人にとっては本作は時間の無駄です。

多分これが09年ではなく、『Assassin's Creed』の一作目が出た07年か、遅くても08年に出ていればまだ新鮮さがあったと思います。実際初代『Assassin's Creed』よりかはステルス関連は悪いところもある一方で良い所もある。でも結局後追いなんですよね。本作が出た頃には既に『Assassin's Creed II』が一足早く出ていたし、あちらは本作がパクッたソーシャルステルスという考え自体を見直して、別のベクトルに作品を振る事で前作の問題点を克服してみせていた。それに比べれると本作は本家では半ば否定されたデザインに完コピすらできずにすがったままで、これじゃまるでピエロじゃないですか。

後もう一つ本作の特徴で長所ともされているモノクロとカラーが切り替わるビジュアル表現だけれども、僕はこれすら疑問に感じます。僕はゲームに広い意味で美しい画面は必要不可欠だと思っているし、ビジュアル表現に力を入れている作品はそれだけでも好ましく思う。ただだからこそビジュアル表現とゲーム的要素は高い結びつきがなければいけないとも思っています。

その点で言うと本作は、ナチスに開放されていない、つまり未クリアの土地はモノクロで表示され、開放した土地はカラーで表示される、単にそれだけの役割しかない。多分この表現をカットしたところで本作のゲーム性は殆ど変わらないはず。こんなビジュアル表現に価値はあるのか。

例えば極彩色が多用された『Mirror's Edge』の場合は見た目のスタイリッシュさも然ることながら、ハイスピードで展開していくゲームに於いて色それ自体が目印となり状況把握を容易にするという、しっかりとした役割がありました。また同じモノクロ表現を使った作品では『Splinter Cell: Conviction』がありますが、まだ発売前なのでハッキリとした事は言えないけれども、あちらもモノクロとカラーがステルス状態と連動していて、ゲーム上必要不可欠なインジケーターとなっている様です。こうした必然性が本作には無い以上、高く評価する事は出来ません。


この時代をリードする事が出来ず、それに追いつく事すら出来ていない、何か大事な所がずれている感じが、ああこれじゃ潰れても仕方ないなぁと思わせるのです。ゲームの殆どの要素をパッチワークで埋めるならば、『Batman: Arkham Asylum』の様に完成度を抜群に高めなければいけないし、さもなくば新しい事に挑戦するかで、しかしどっちにしろ完成度は求められる。そして何よりキャッチーでなければならない。例えば本作の基本部分はそのままで、設定を「太古から続く暗殺教団の一員である主人公が、華のパリで第二次世界大戦の裏でうごめくテンプル騎士団の陰謀に立ち向かう!」にするだけでも全然違うのではないか。

この違い。マップの作りこみやキャラのアニメーションの質など技術的な所から、様々なシステムとそれが組み合わさった時のトータルのゲームプレイ、更に舞台設定とその活かし方に至るまで、全てが後一歩足りない。

始めにも書いた様に一昔前ならこのレベルでもやっていけたんだろうけど、今はもうコアゲームはトリプルAクラスをガツンと決めるか、さもなくばWiiよりも更に繰り下がって携帯機で細々と出すかという二択の状態で、かつての中堅ポジションは完全に無くなってしまっている。Pandemic Studiosの他にもこないだ閉鎖されたRadical EntertainmentやBrash Entertainment、GRIN等は全てそこに居たスタジオ。こうして多くのスタジオがバタバタ倒れていく中、本作は中堅からトップレベル、成功するしないの丁度瀬戸際の壁をギリギリ乗り越えられなかった。

まぁ毎度の事ながらこの感想は前半を遊んだ上での印象なので後々覆される可能性も無くはないのですが、あったとしてもそれは例外で、今までの経験則から言うと殆どのゲームは前半から中盤までの印象はほぼ間違いなく全体の印象と同じ。これも少なくとも中盤まではやってみるけれど、果たして覆されるかなぁ。また投げ出す事にならなければ良いけど・・・

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