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2010/03/26- 観察したい





前回の続きです。最近の落書きを通じて考えている事第二弾。前回は今までのやり方のような作品のコンセプトのあり方が信じられなくなってきたという事を書きましたが、その辺を今回は別の角度から掘り下げたいと思います。

今回の三点は特にタイトルがあるわけではありませんが、どれもPixivのランキング作品数枚をランダムに選んで、それらをパッチワークする手法で描かれました。以前描いた『Pixivデイリーランキング 2009/10/15 一位二位三位』とまるっきり同じですね。これを何故この期に及んで蒸し返してきたかと言うと、それには前回でも書いたコンセプトへの不信が関係あります。しかしこれはこれで前回とはまた別の事情もあるのです。

コンセプトを信じられなくなってくると、それを後ろ盾にして描いていたモチーフも同様に信用ならなくなってきます。まぁ言う程僕は幅広く描いてきたわけではなく、大体オタク絡みのモチーフを扱ってきたのですが、それすらも疑問に思ってきてしまうのですね。

そこで改めて僕が描いていて好きなものは何なのだろうかと考えてみた。"好き"というのは何かする上での根拠としては最も原初的であり強力なものです。"好き"さえあればその後ろに幾らでも屁理屈を付けて理論武装できる。しかしその大元が無ければ如何なる行動も実行に移し辛い。その自分の"好き"とやらが一体何処にあるのか。

しかしこれが殆ど無いんですね。特にオタクに好まれるジャンル何てものは、自分自身オタクを題材にしておきながら全く好きじゃない。SFだぁファンタジーだぁ何てクソ食らえ。メカが好きなわけでもなし、中世ヨーロッパのまがい物みたいなフリフリな格好のお嬢様が好きでもなし、ミリタリー系が好きでもなし。そんなに否定しちゃオタクとして成り立たないよって位に、好きなものがない。

唯一学生物というジャンルだけは多少引っ掛かるので、今まではそれを中心に描いてきた。しかしそれも心の底から好きなわけじゃないので、あくまでもオタク文化ではこういうものが好まれていて、そんなオタク文化を象徴化する為に敢えて使う、みたいな回りくどい理由を自分の中に作らなければとてもじゃないけど扱う気になれなかったのです。

こうなってくるといよいよ自分にオタクは向かないのでは、純アートの方が向いているのではとさえ思ってしまう。ところが全てを否定しても、最後の最後でオタク文化そのものへの執着は残るんですね。或いはオタクの生態への執着とでも言うべきか。全ての具体的なバイアスを取り払って、ただ純粋なオタクという事実に対してはとてつもなく執着がある。

これは自分がドキュメンタリー好きという点と繋がってくるのかもしれない。オタクという現実や事実、その中にあるものやそれの行く先を知りたいのであり、彼等が消費しているものへの興味は別の問題。それに触れるとしてもあくまでも彼等の生態を理解する一環に過ぎない。

思えば僕は中学の時一時アニメやマンガに中毒的に嵌っただけで、それ以降およそオタクと呼べるほどの積極的消費はしてきていない(ゲームは例外)。ただ良いものはジャンルを問わずみたいので、その手の話題が集まる匿名掲示板は常にウォッチし続けてきました。当初は純粋な情報収集のみが目的だったはずですが、ああいう場所では図らずともそこに居る人々の生態を知ることにもなる。大半がスケベネタで、セックスしたい、オナニーしたい、だけど三次元はお断りって調子ですよ。後は社会に対する不平不満、今の自分の状況に対する不安。これらの話題が何年経っても全く何の変化を起こさず延々と続いている。

普通に考えたら全くもってくだらない事で相手にするだけ時間の無駄で、そこから何がしかの生産的なものは殆ど得られない。しかし一方で暫く見続けていると、彼等は別に成りたくてそう成っているのではないのではないか、他に選択の余地が無い、と言うよりも他に選択肢がある事すら知らずに生かされてきたのではないか、こういう集団の傾向を単なる自己責任論で済ませるのは如何なものかと沸々と考えるようになってくる。そして何時しか彼等の様子そのものを観察する事が、今までの情報収集と同等かそれ以上に"好き"な事にになってしまったのです。

特に僕が出入りしていたのは2ちゃんねるよりも双葉ちゃんねるという画像掲示板の方が圧倒的に多かったので、彼等のぼやきは常にオタク的な画像と共にあった。そしてずっと見続けているとそれら二つが混同してくるのですね。オタク的画像が彼等の惨めな生態を証明し、また彼等の生態がオタク的画像の可愛さを証明する。こうした観点は僕が絵を描く時にもそのまま引き継がれ、美少女系の絵柄の中に風刺を込める作風の土台となりました。


ちなみにこの観点が最も端的に表現されているのは間違いなく『失楽園2』でしょう。秋葉原通り魔事件、美少女イラストと時事ネタが氾濫する画像掲示板、そこから浮かび上がってくる彼等の生態というものがダイレクトに描かれてる。我ながら自分の作品表現の一つの極みだと言っても良い。

ところがこの作品がPixivで消されてから、ダイレクトに表現しすぎると見てもらう事すら出来なくなってしまうと思って、絵柄をリアル路線に振るという迷走が始まったわけですね。本来の観点を意図的に歪めて描くわけですから、以前の様に自らの作品の中の"オタクの生態観察"と"オタク的画像"の間に強い結びつきが感じられなくなる。コンセプトから遊離した絵柄からは描くに値する根拠を見出す事が出来なくなり、コンセプトは絵柄から遊離し頭でっかちに見えてくる。

特にコンセプト、ここで言う"オタクの生態観察"に対しては、前回書いたその観察眼そのものの陳腐さだとか、自らのセンスの無さを隠す為の理論武装に過ぎなかったとか、そういった事も含めて価値を見出せなくなり、ただ只管に自己嫌悪するしかなくなってしまった。こんな自分が絵を通じて何がしか意見するなんておこがましい!ってね。

これらの問題点全てを刷新しようと試みたのが『Message』だったわけですが、一方でやはり今までのやり方に未練もある。だから『Message』程割り切らずに、今までの方法を幾らか踏襲しつつも、改善すべきところはする手法はないものか。もっと具体的に言えば"オタク的画像"を使って"オタクの生態観察"という観点を、何の他のバイアスが加わる事無く、ただただ純粋に表現する事は出来ないものか悩んでいるわけです。

そこで思い出したのが、昨年の10月に描いた『Pixivデイリーランキング 2009/10/15 一位二位三位』という落書き。当時は10月15日付けのランキング一位から三位を合成するというものでしたが、ほぼ同じ要領でその日のランキング全体からランダムに数枚選んで合成するようにすれば、モチーフへの興味だとか好みだとかいったものは全て取っ払って、ただ"オタク的画像"である事、ただ"オタクの生態観察"である事だけを最大化できるのではないか。そうした考えの基描いたのが上記の三枚。詳しい日にちとモチーフになった作品は忘れましたが、どれも二月のランキングから取り出しています。

しかしこれにも問題があって、まずランダムに作品を選択したとしても、その合成は自ら行うわけですから、その時生じる手心をどう扱うのかはもっと厳密に考えなければいけない。まぁその手心こそが自らの"オタクの生態観察"の成果と言えなくもありませんが、それは合成する複数の作品の作風を最大限踏襲して始めて価値が出てくる気がする。ところが今回の三枚はあくまでも元の画像をモチーフとして扱っているに過ぎず、絵柄やタッチは僕自身のもので描いてしまっている。

それは描く行為、作品を作る過程を楽しみたいという、前回書いた欲求が影響している。もし自ら定めた方針に忠実であろうとするなら、絵柄やタッチなど、なるべく全てをモチーフに忠実にするべきです。しかし忠実にすればするほどそれは自らに不自然を強要する事に繋がり、純粋な行為の快楽性は無くなってしまう。『Message』と同じく、作品の狙いを実現するために過程の快楽性を全て犠牲にしなければいけなくなる。それが耐えられなかった。やはり過程も楽しみたい。その為余計な手心を加えてしまった。これは完全に甘えであり、弱さです。作品作りにおけるストレスに勝てなかった。

またもう一つの問題は、そもそも現在のPixivは観測対象として価値あるものなのかという事。最近のPixivは特にランキングが完全に破綻しており、絵画としての質だとか完成度は二の次で、ただただPixiv内で人気があるかどうか、その絵が人気の版権絵であるかどうかが全てになってしまっています。前々からこの傾向はあったけど最近は特に酷くて、ランキング一位から五十位までの内、その八割が二三種類の版権絵で占められる時も少なくない。

またある時は何時ものようにランダムで三枚程選出したら、三枚とも『デュラララ!!』になってしまった。その時ああこれはもう駄目だと諦めてしまいましたね。三枚とも『デュラララ!!』だと、どう足掻いても、どう合成しても単なる『デュラララ!!』の絵にしかならないわけですよ。自分のコンセプトが観測対象に完全に負けてしまってる。機能していない。

Pixivに関しては他にも言いたい事や考えている事てんこ盛りなのですが、それ書いていると恐らく果てしなくなってしまうのでまた別の機会に譲るとして、兎に角こういう状態である以上この表現手法は詰みです。もう一度戦術を練り直さなければならない。そこで一つ今考えているのが、前回取り上げた『犯れ!』やそれ以前の作品でも度々見られた、セックスネタという奴を先鋭化させていくという方向性。これについても話すと長くなりそうなので、また次回詳しく書いていきたいと思います。

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