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2010/10/12- 外面のその奥で何を目指すのか


皆さんお久しぶりです。三ヶ月以上も更新を放置していて本当申し訳ない。ここ数ヶ月は就活やら仕事やらでかなり立て込んでいました。しかしお陰様で就職先は無事決まり、仕事の方も一段落。ようやく平常運転に戻れそうです。仕事の方は後々幾つか発表させて頂く事があるので暫くお待ち下さい。またこのHPの更新も今日からボチボチ再開させていきたいです。

そういう訳で更新再開一発目は『Red Dead Redemption』で行きたいと思います。本作は北米版は既に今年の五月に発売されていて、その時僕も買って少し遊んだのですが、日本語版発売の話を聞き、今まで遊び控えていました。これまでRockstarのゲームはCapcomが国内ローカライズするのが常でしたが、最近Rockstarの販売元であるTake-Two Interactiveが日本に支社を立ち上げた為、今回以降はTake-Twoが直々にローカライズしていくようです。

そういうわけでこの『Red Dead Redemption』、5月の発売の時は発売一ヶ月で全世界500万本を出荷して大ヒットを記録し、名実共に今年を代表する作品だと言えます。尚2004年に前作に当たる『Red Dead Revolver』が発売されていますが、こちらとは西部劇という設定以外はストーリーもゲーム性も全く別物。リニアなアクションゲームだった前作から、本作はRockstarお家芸のフリーローミングスタイルの内容に変わっています。

ちなみに前作の『Red Dead Revolver』は絵描き的観点から見ると、キャラクターデザインにCapcomの元看板デザイナーだったあきまん氏が関わっていて、僕はそっちの方面でこのシリーズは一作目から注目していました(本作にはあきまん氏は一切関わっていない)。そういう訳で実はそれなりに思い入れのあるシリーズなのですね。

以上簡単にバックグラウンドの説明をしたところで早速内容について書いていくと、第一印象は"普通に面白い"という感じ。西部劇という舞台を活かしつつ、ストーリーミッションからミニゲームまで無数に詰め込まれた要素を気ままに遊んでいく、典型的な箱庭ゲーム。恐らく"西部劇版『GTA IV』"の一言で、プレイフィーリングの八割は説明がつくのではないかと思います。


そんな本作の一番の特徴は、やはりなんと言っても西部劇である事、そのものでしょう。西部劇は映画界ではほぼ死滅したジャンルですが、ゲーム界に至っても鬼門中の鬼門。前作の『Red Dead Revolver』はそこそこ売れ、最近では『Call of Juarez: Bound in Blood』なんて作品もありましたが、基本的に西部劇は売れないジャンルとして長らく敬遠され続けてきました。そんなジンクスを打ち破って大成功を収めた本作ですから、西部劇の表現はそれに見合った圧倒的なものがあります。西部劇マニアは勿論、全く知らない人にもその魅力を伝えて余りあるほどの説得力がある。

例えば最も分かり易い点で言えばグラフィックス。『GTA IV』のRageエンジンの改良版によって描画される世界は、『GTA IV』以上に細密で写実的。また単純な見た目の底上げに留まらず、雲や霞のリアルタイムの演算や遠景の描写力の大幅なパワーアップなど、西部らしさの表現に特化したエンジン作りが素晴らしい。その余りにも西部劇のイメージにマッチした画面作りは、写実を超えて劇的、絵画的であり、その点では同じく自然環境の描写力が売りだった『Crysis』をも凌駕しているとさえ言えます。

また西部劇らしさの表現は物語という観点から見ても際立っており、特に洋画的なケレン味を取り入れた演出は実にRockstarらしい。過去のRockstar作品と同じく、本作の物語も主人公John Marstonを取り巻く多数のキャラクター達によって描かれる群像劇。強烈な個性溢れるキャラクターと主人公の掛け合いが毎回繰り広げられ、その積み重ねによって総体としての西部の世界観が浮かび上がってくる構成になっています。


僕はここで感じる洋画らしさというものが、本作を含めたRockstarの作品の最大の持ち味だと思っています。所謂"映画的ゲーム"が主流となっている今日のゲーム業界ですが、Rockstarのゲームはそれらとは全く違う意味で映画的。一般的にゲームに対して映画的という言葉が使われる場合、それはアクションの迫力とその没入度、または体験性を指し示しているのが殆ど。

しかし映画言語というものは何もアクションだけではありません。例えば俳優とそれに付随する演技や台詞回し。カメラの回し方や間の取り方等など。こういった単なるアクションとは別の、映画というメディアがその歩みの中で培ってきた独自の表現要素を重んじて、ゲームのストーリーテリングに落とし込んでいるのがRockstarです。

だから先程書いた多数のキャラクターの掛け合いが魅力って話も、それは日本的な意味のキャラクターとは全く別次元。ここでのキャラクターは映画の俳優に見立てたものであり、その俳優の演技としての台詞回し、及びその掛け合い。それが本作の、一映画ジャンルとしての西部劇のリアリティを描き出す事に繋がっている。

このイメージを一言で表すと、やはり"洋画"的という言い表しが適当ですね。"映画"ではなく"洋画"。映画館で見る最新のアクション超大作というよりも、木曜洋画劇場で放送されているような、年季掛かった趣をRockstarは絶妙に捉えている。ここが他のゲームとは決定的に違う、Rockstarしか表現できないブランド性なんだと思います。


以上、本作の西部劇としての優れているところを書き連ねてみましたが、では箱庭ゲームとして見た場合はどうなのか。世界観とか要するに絵面を抜きにして、純粋にゲーム言語的な点で言うと、それは『GTA IV』以上でも以下でもないというのが率直なところ。確かに個々の要素は西部劇的な味付けがされているし、その完成度は半端なく高い。しかし重要なのはそれらが束になった時、総体としてプレイヤーにどのように感じてもらうかであり、その目指している方向性が『GTA IV』の時点から変わっていない。

例えば『GTA IV』以前の箱庭ゲームというのは、英語でSandboxと呼ばれるその名の通り、マップという巨大な砂場の中に無数の遊び道具が散らばっていて、それをプレイヤーのイマジネーションに任せて好き勝手に遊ばせるというものでした。通行人を虐殺したり、車を奪って暴走したりも全ては遊び道具の一つという観点だったわけです。

ところが『GTA IV』はこれらの個々の要素を、犯罪行為という外面だけ残して趣旨の方を全く別ものに変えてしまった。従来の遊び道具という役割から、ゲームの舞台となる世界に、プレイヤーが居住している感覚を味わわせる為の要素という役割に変えてしまった。だから同じ犯罪行為にしても、そこでは常に「主人公はその世界ではそうせざるしか生きていく道がないのだ」、みたいな理由付けが強くされるようになった。自由に選択できる行為の全てが、主人公やそれを操作するプレイヤーが、その世界に居住している事の証明になるというアプローチ。これは『Sims』シリーズだとかの従来のシミュレーションゲームが築いてきた方法とはまったく別のリアリティの描き方であり、故に『GTA IV』は革新的なゲームなのです。

『Red Dead Redemption』に話を戻すと、本作は嫌味な言い方をすれば、このような『GTA IV』が打ち出した新たな方法論にそっくり乗っかっているに過ぎないのです。確かにマップは滅茶苦茶広い。動物を狩猟出来る。賞金首を生け捕りにして保安官に突き出すといった事も出来る。これら個々の要素は『GTA IV』にはない。しかしこれらが束になったときに導き出される、"西部に居住している感覚のシミュレーション"という方向性は、『GTA IV』の"現代アメリカに居住している感覚のシミュレーション"という方向性と何ら変わりはない。


だからこそ第一印象は最初に書いたとおり"普通に面白い"なわけです。"西部劇版『GTA IV』"なわけです。Rockstarの完璧主義が如何なく発揮されているので、面白くないわけはない。だがその面白さ自体は『GTA IV』で既に見て慣れてしまったものだから、特別なものではない。そうなると詰まるところ、本作の代わりが利かない唯一絶対的な価値ってのは、西部劇の世界観の圧倒的再現という点しかない。

言い方を変えると『GTA IV』の見た目の違うおかわりとしては素晴らしい完成度ですが、『GTA IV』の更に次を行く新たな方法論を求めていた僕としては、少々肩透かしを食らったなという感じです。現在のゲーム進行度は約40%。この後の60%でこの印象を覆してくれれば良いのですが。

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