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2009/03/29 - クソ映画と傑作映画1


『Dragoball Evolution』程前評判が悪かった映画は珍しい。今や世界的人気コンテンツである『ドラゴンボール』を、あそこまで改変したイメージにしてしまっては仕方が無い事のようにも思える。今から思えばこの作品はあの時点からそれこそ世界的な罵詈雑言を浴びせられる宿命にあったのかもしれない。公開された後もその勢いは留まる事を知らず、国内でも稀代の駄作(ネタ)として定着しつつある事は、皆さんも既に良くご存知であるはず。

一方の『ウォッチメン』は日本での知名度は低く、かくいう僕も公開直前になるまでその存在すら知らなかった内の一人。しかし本国アメリカでは、原作のアメコミはかの『Batman: The Dark Knight Returns』と並び称される傑作中の傑作。またこの2作はほぼ同時期に出版され、その映画版もまたしかり。評価も原作、映画共々互角に争う出来だとかで、まさに運命共同体とでも言うべき間柄である。昨年『The Dark Knight』に感銘した僕としてはこれを観るのも最早必然。結果として国内公開初日に劇場へ足を運ぶ事になった。

昨日はこの駄作と傑作を同時に観てきたので、今回はその内の『Doragonball Evolution』の感想です。

但し最初に断っておくと、『Dragonball Evolution』は公開前の掴みが最悪だったのは事実ですが、ファンにとってはいつの間にか主従が逆転し、批判する事が目的になっていたようにも思えます。そうなるともうどんなものでも批判の対象にされてしまうし、公開後のレビューを読んでもまず批判ありきで、叩けそうな箇所を徹底的に探すみたいな趣旨のものが実に多かった。特に作品の設定に対する批判がその典型例でしょう。曰く原作とどこがどう違うからクソだという論調の何と多いことか。しかし冷静に考えてみれば原作と違う=クソに直結するのは論旨が破綻してはいませんか。

この点に関して僕の考えでは、何かの媒体で既に完成されているものを別の媒体に変換する以上、多かれ少なかれ違いが生じるのは仕方が無い事。ましてや作っている人間がまるで違うのですから、つまるところ原作ものの作品は"原作に対する、製作者なりの解釈"であるべきだと思っています。その上で原作に近い遠いは作品によってまちまちになりますが、いずれにせよそれは製作者の解釈の結果であり、そこに大差はありません。それよりかは個々の仕上がり具合で評価をすべきです。

なので本作に至っても、別に原作と違うからクソだとは僕は一切言いません。悟空がいじめられっ子でもいいし、亀仙人がただのおっちゃんでもいいし、ヤムチャが格闘技とは無縁の一般人でも良いんです。問題はそこではないし、寧ろ各シークエンスに原作へのオマージュが散りばめられていて、本作には原作への配慮は見受けられました。設定の話に限ればこういう映画化は断然アリです。

しかしだからといってそれはクソである事の証明にはならないのと同時に、クソでない事の証明にもなりません。事実『Dragoball Evolution』は間違いなくクソです。それは原作と違うとか『ドラゴンボール』じゃないとかそういうものの以前に、映画として明らかに欠陥品であるという意味です。

物語において必要なのは"原因"と"結果"です。それをどのように組み合わせて描くのかは完全な自由ですが、兎に角最終的に"原因"と"結果"はイコールにならなければなりません。もし"原因"に対して"結果"が足りなかったら、尻すぼみだとか拍子抜けに思われてしまうでしょう。逆に"結果"に対する"原因"が不十分だと、何故そうなったのか意味不明になってしまう。そして『Dragoball Evolution』のクソさは後者にあたります。

7つのドラゴンボールを集めてピッコロ大魔王と対決する。このスケールを87分という短さで表現するのがそもそも難しいのではと思ってしまいますが、それを乗り越えるのが脚本力。しかし本作たるや本当馬鹿正直に1つめから順番にドラゴンボールを集めていく物語構成になっていて、これでは約90分ではとてもじゃないが収まりきらない。

本作はそれを無理やり収めた為に、"7つのドラゴンボールを集めてピッコロ大魔王と対決する"という結果に対する原因を著しく損なう事になってしまった。何故ドラゴンボールを集めるのか、どうやってドラゴンボールを集めるのか、どこのドラゴンボールを集めるのか。そういう状況説明が一切なく、集めようと言った瞬間にもうそれがある場所まで着いている、そんな原因を抜いた結果だけ詰め込んだ展開ばかりではリアリティを感じようもないし、感情移入してワクワクする事だってできやしない。

またぶつ切りな展開の為に世界観がまるで見えてこないのもいただけない。まず時代設定が意味不明で、始め悟空が通っているハイスクールは現代を思わせる雰囲気に対し、日本と思しき場面ではどう見ても弥生時代後期にしか見えない。僕は始め、これは過去の時代の出来事を描いているシーンなのかと思ったが、どうやら同じ時系列の話らしい。

その後ブルマが出てきて未来兵器みたいなものを使う所でますます混乱し、アジア系の人々が修行している山岳地帯に何故かハイスクールで一緒だったチチがいて遂に思考停止。しかし物語では「こんなところで合うなんて奇遇だね」とあっさり受け流し、それの具体的説明はない。他にも溶岩が吹き荒れる地帯、「ナマステ」と挨拶を交わす寺院、天下一武道会等など実に多種多様な舞台が登場しますが、それらの繋がりの説明は一切なし。結局最後まで、本作の世界の世界地図を頭に描く事が出来なかった。

そんな調子で最後のピッコロ大魔王との対峙までぐだぐだ進み、しかしここでも時間が押していますと言わんばかりにあっさり戦ってあっさり終了。

そのピッコロ大魔王自身も相当小物臭い。この作品に登場する人物は口々に世界を破滅に追い込んだ恐ろしき魔王と言いますが、実際劇中でやっている事といったらヘナチョコな部下を送って悟空にちょっかいを出すばかり。ドラゴンボール集めもパシリ一人では足りないのか、わざわざ自らが現地に出向いて直談判、手作業で探すという健気さ。これで世界征服を狙っているというのだから笑ってしまう。これだったら同日に観た『ウォッチメン』に出てくるDR.マンハッタンの方がよっぽど強そうです。

何かここまで見事に説明が足りていないのは、製作者達が途中で嫌になって投げてしまったとしか思えない領域にあります。もう最低限伝わる部分だけでいいやーと削りに削って87分。世界的な批判に晒されてヤケになってしまっている図が容易に想像できる。若しくはそうとでも思わないと、このありとあらゆる説明が不足していて意味不明な"自称"壮大な物語を納得する事が出来ないのですよ。

しかし逆に考えるとそこそこにまともで普通の内容になるよりかは、寧ろクソさをネタにされる方がまだ幸せなのではないかとも思えてきてしまう。ここまで書いてきた事はいわば映画として最低限わきまえなければいけない最低ラインに過ぎません。それを満たしていても、それは普通の作品レベルというだけで、実際本作がこのままマシになると余計当たり障りが無くなってしまうだけかもしれない。

それだったらわざと出来を貶めた方がかえって"最悪"という固有価値が出るのではないか。どうせマシな内容でもがっかりされるのは目に見えているんだし、だったら開き直ってクソさを売りにした方がまだ話題性があると製作者達は判断したとか。まさかとは思うが・・・

ただそれでも『デビルマン』みたいな正真正銘のクソ映画と比べるとまだマトモなのがかえって中途半端で、これがクソ映画フリークの御眼鏡にかなうかと言ったらこれも微妙。

結局誰が見ても(クソ映画フリークにとっても)クソというのが『Dragonball Evolution』の正しい評価だと思います。公開前の叩き方は些か過剰に思えたけど、ただそれがこの作品の運命を悪い意味で決定付けてしまったのかもしれないな。

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