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2009/03/30 - クソ映画と傑作映画2


『Dragoball Evolution』程前評判が悪かった映画は珍しい。今や世界的人気コンテンツである『ドラゴンボール』を、あそこまで改変したイメージにしてしまっては仕方が無い事のようにも思える。今から思えばこの作品はあの時点からそれこそ世界的な罵詈雑言を浴びせられる宿命にあったのかもしれない。公開された後もその勢いは留まる事を知らず、国内でも稀代の駄作(ネタ)として定着しつつある事は、皆さんも既に良くご存知であるはず。

一方の『ウォッチメン』は日本での知名度は低く、かくいう僕も公開直前になるまでその存在すら知らなかった内の一人。しかし本国アメリカでは、原作のアメコミはかの『Batman: The Dark Knight Returns』と並び称される傑作中の傑作。またこの2作はほぼ同時期に出版され、その映画版もまたしかり。評価も原作、映画共々互角に争う出来だとかで、まさに運命共同体とでも言うべき間柄である。昨年『The Dark Knight』に感銘した僕としてはこれを観るのも最早必然。結果として国内公開初日に劇場へ足を運ぶ事になった。

一昨日はこの駄作と傑作を同時に観てきたので、今回はその内の『ウォッチメン』の感想です。

前文にも書いたとおり『ウォッチメン』は様々な面において『ダークナイト』と比較される作品だと思います。完成度然り、テーマ然り。但し『ダークナイト』はあれでも比較的明解なプロットやアクション映画としての派手さを備えていましたが、本作は更に地味かつ難解だ。かく言う僕も後半はついていけず、近いうちもう一度観に行くつもりでいます。なので半分足らずしか理解していない身で感想を書いて良いものかと迷いましたが、まだ公開して間もない分、分からなかった所も含めて早いうちに書き留めておいた方が良いと思った次第。

さて感想を述べる前に、作品の概要を簡単に説明しなければなりません。『ウォッチメン』とは結論から言って"この世に平和をもたらすにはどうすれば良いのか"を描いた物語です。そういう意味では根幹部分は典型的なヒーロー物の物語と大差はないのでしょう。しかし本作の舞台は架空の都市でも架空の時代でもなく、我々が知っているのとほぼ同じ歴史を辿ってきた1986年のアメリカ。そんな現実同様の世界に、フィクションとしてのお約束が通じない世界に、平和をもたらさんとするスーパーヒーローが現れたらどうなるのか。

とは言えこの物語におけるヒーロー達は、実際はマスクを被って武装しているだけの普通の人間に過ぎません。様々な現実的な問題に縛られながらも尚ヒーローとして振舞う為に、彼等はヒーローというファンタジーから破綻していく。ある者は悩み諦め、ある者は政府に仕え、またある者は狂信的な善悪二元論者となる。そして大衆もまたそんなヒーローらしからぬヒーローに次第に不満が募っていく。

それでも彼等は肉体・精神において現実に属している以上、幾らヒーローを名乗った所で彼等は社会にとって致命的な存在にはなり得ません。勿論世界平和も夢のまた夢。しかしそれがいよいよを以って社会的な破綻に結びつくのは、Dr.マンハッタンという本物の超人が現れてからです。原子を操り、およそヒーローに求められるありとあらゆる能力を体現できる彼は、核に代わる国防の要とされ、ベトナム戦争にも派遣、アメリカを大勝へと導く。

しかしそれは世界のパワーバランスを崩す結果となり、相互確証破壊が成立しなくなった今や、米ソ関係は急激に悪化、ソ連は核を大量に増産するに至り、国際的な緊張感もまた悪化の一途を辿る。同時にヒーロー達への大衆の不満もピークに達し、ついには自警活動を違法化され、あわやヒーロー達は休業に追い込まれてしまいます。

そうして向かえた1986年、一人の元ヒーローが暗殺される事件がおき、また世界が刻一刻と破滅へ歩んでいる最中で、元ヒーロー達は自らの信念や世界平和について改めて考え、そして各々なりの行動を起こし始めます。

こうして概要を一通り書ききったのは、僕自身が上手く内容を飲み込めていない故の確認作業の為であるし、この作品自体の歪なヒーロー像をまず説明しない事には読んでいる方も意味が分からないだろうから。

ヒーローとは言い換えれば勧善懲悪の体現者でもあります。正義を説き悪をくじく。それが平和を手に入れる為の最も分かりやすい方法。それがヒーロー物の鉄則。しかし現実社会はそんな白黒を容易に分けられる程単純ではありませんし、平和を得る事だってそんな簡単に出来るものではない。本作はその困難さを、敢えて勧善懲悪を信ずるヒーロー達を一種のピエロに見立てて描いていると言えるでしょう。

ヒーローとは勧善懲悪の象徴であるが、更に言ってしまうとアメリカという国家のアイデンティティーを背負った存在でもある。9.11以降正義を貫き悪を挫かんと対テロ戦争を宣言したが、今日に至るまでその"世界の警察"は、そう単純ではない世界と、中々成果が上がらずまたバッシングの対象とされる自らの自警行為に頭を抱えている。その様子は様々な側面に分解されて、本作に登場する各ヒーロー達にそれぞれ伝承されているかのようです。本作の史実と絡ませた、国家の陰にヒーローありという構図がそれをより強調しているとも言えるでしょう。

但しそれが本作を難解なものにしている所為でもあります。本作のヒーロー達は一口に勧善懲悪と言っても、それぞれ独自の哲学でそれを表している。更には時間軸が加わり、過去から現代に至る価値観の移ろいやアメリカという国家の功罪が統括されるのだから余計に難しい。結局足りない僕の頭では、1回観ただけでは全ての相関関係や比喩しているところがわからなかった。

この際本作を読み解く上で助けになるのがやはり『ダークナイト』なのではないかと思います。『ダークナイト』も根幹のテーマは本作と全く一緒ですし、その結論もかなり近い。ただ『ダークナイト』は善のバットマンに悪のジョーカー、その間のトゥーフェイスと相関関係がすっきりしていたし、また最後まで二元論に軸足を置いて描いていたので分かりやすい。『ウォッチメン』はそれがより広角的なものになっていると考えると良い。

ただ『ダークナイト』の論調と必ずしも一致しない部分もあります。その中でも特に目を惹いたのが本作の登場人物の中でも実質主人公的扱いを受けているロールシャッハや、唯一の超人であるDr.マンハッタンの関係性でしょう。

ロールシャッハはある意味では最もヒーローの鉄則である勧善懲悪をそのままの形で表している人物です。しかし現実は容易く白黒つけられる世界ではないのは前述した通りですが、ロールシャッハそれでも執拗に、何が何でも正義と悪の二元論を遂行しようとする。それは最早病的の域にあり、ヒーローとしての花々しさには余りにも程遠い。ロールシャッハは最も歪な形で勧善懲悪を体現している。

一方のDr.マンハッタンはそれとは真逆の人物です。彼にはヒーローの条件である、ありとあらゆる能力が備わっているが、しかし勧善懲悪という概念に一番疎い。彼は宇宙的視野で物事を観測しており、一介の人類の平和など無関心に近いが、彼を取り巻く環境は彼を最重要視し、彼に全てを依存している。

そんな対照的な2人は終盤まで殆ど絡まないが、その終盤において1つのメッセージを残す。『ダークナイト』と比べて更に悲観的なその物語の終焉は、衝撃的であるが非常に興味深くもあった。

こういう情勢にありながら、こういう自己反省と更に先を行く作品を、アメコミ原作で、しかもハリウッドで作るのだから何だかんだ言ってアメリカという国は凄い。娯楽の皮を被ってこういう作品が出てくるのだからハリウッドもまだまだ侮れない。勿論それは原作自体が偉大だからという理由も多分にあるでしょうが、それでもそれをこの時代に映画化するというのはベストタイミングです。作品の時代設定は原作通りの1986年ですが、本作で描かれるテーマは見事に2009年の現代に適合している。

難解な上アクション映画としてみると地味なので一概にお薦めと吹聴する事は出来ませんが、『ダークナイト』の社会派な部分が好きな方は、それが更に濃くなったものを楽しめる事請け合いです。

僕自身なるべく早めに2度目を観に行き、出来れば原作の方も目を通したい。そうしたらまた改めて何か書くかもしれません。

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