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2009/04/13 - 背負ってもそのまま投げる事はできず
相変わらず『Grand Theft Auto IV』をプレイ中。達成度70%位で、もうメインストーリーは終盤にさしかかった頃だと思います。Nicoの探し人との再会、McReary一家の悲劇やRomanの婚約など、ストーリー上重要な出来事も増してきてた。
その中でもMcReary一家の悲劇は最近のイベントの中ではとりわけ強烈でした。McReary一家の内誰か1人を殺めなければいけないミッションで、前にも後にも彼等と付き合い続ける手前、その決断は重みを伴ってくる。何か序盤でRomanやBrucieと馬鹿やっていた頃と比べると随分遠くに来てしまった気がするなぁ。
本作では物語の節目にどちらを生かしてどちらを殺すかという、極限の選択を迫られる時があります。どちらの選択肢も一長一短で甲乙付け難く、ミッション後の報酬も明示されないので、その判断は完全にプレイヤーの倫理観に委ねられる。またここでの選択はいずれにしても本人やその関係者に対しての裏切り行為になり、Nicoは以降ずっとそれを背負っていかなければならなくなります。
思えば本作は上記の例以外でも多くの登場人物達が皆何らかの形で過去を引きずっているように見える。例えば自らの過去の功罪に囚われ続けているDwayne、オカマになる事で過去と決別しようとしたBernie。主人公のNico自身もずっと従軍時の傷心抱え続けていて、逆にそれだけが彼の生きる動機になってしまっています。
この過去、若しくは自らの生い立ちに苦悩する人々という構図は、物語後半になるほどより顕著になります。そして彼等は何らかの形で救済を求めますが、それらは人殺しだったりヤクだったりといずれも歪な方法に頼っていて、結局の所それは自らが背負い込む荷物をより一層増やしているに過ぎない。
大袈裟ですが、これはまるで現代版『罪と罰』(手塚治虫)とも言えるかもしれません。ラスコーリニコフが罪を自白するも大衆の騒乱の内にかき消されてしまったように、『GTAIV』の登場人物達もまた魂の救済を求めてもがき苦しむが、全てはLiberty
Cityという大都会に虚しく取り込まれてしまっているようであります。
更に本作が優れているのは、彼等と言うよりもNicoの苦悩や自責を、プレイヤー自身にもそっくりそのまま味わわせてしまっている所でしょう。Nicoの思考や行動に常に立ち合わせ、またそれを実行させる事で、プレイヤーをまるで共謀者に仕立て上げている。前述した極限の選択なんて正にそう。
そしてそれを実現しているのがユニークなキャラクター達と、自由度の高いゲームプレイでしょう。自由な生活を再現して、あたかも彼等と本当に付き合っているかのようなシチュエーションを用意する。これはもうどれだけゲームに感情移入させるかの問題となってくるのですが、少なくとも僕はしまくっていたので、Nicoの心の葛藤に自分自身もまんまと同調してしまった。
序盤にNicoがRomanにポツリと言った「オレたちは毎日新たな荷物を拾い続ける 一生背負っていくことになる荷物をな」って言葉がそのまま本作のテーマになっているように思えます。
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