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2009/05/05 - ただいまなのだ。


若葉が鮮やかな季節となりましたが、皆様つつがなくお過ごしでしょうか。お久しぶりです。NaBaBaで御座います。新居に移ってから1週間。新しい環境での生活を整える為、あれよこれよと大忙し。勿論ゴールデンウィークも全て返上ですが、今年に限ってはその方が良かったのかもしれません。今日になってやっと配線整備が済んでネット接続ができるようになりました。

まだまだやる事は目白押しなのですが、一応本日からHPの更新を再開したいと思います。『Grand Theft Auto IV』クリアしたとかPixivフェスタvol.2参加するとか、お伝えするべき事がたまっているのですが、それらは今後1つずつ改めて報告させて頂きます。とりあえず今回は引越し前後を挟んでちょびちょび描き上げた新作を公開して、更新再開の景気付けと致しましょう。タイトルは『幾多のバベル』。

テーマはタイトルの通り、バベルの塔の話を元ネタにしています。バベルの塔とは簡単に説明すると旧約聖書は創世記の11章のお話。かつて人々は1つの言語を話し、天への到達を目指して高い塔を作ろうとした。しかしその傲慢さは神の怒りに触れ、神は人々をバラバラの言葉を喋らせるようにした。言葉が変わり意思疎通できなくなった人々は塔を作る事を断念し、世界各地に散り散りになったという。

一極と多極、その間で揺れる意思疎通をテーマにしたこの話は一般でもポピュラーかと思いますが、近年では『バベル』という映画もあったように、現代の世界情勢の例えとして使われる事もある。僕もそこを意識し、そして出来上がったのが今回の図。金融恐慌、G20や世界の多極化、元を正せば01年の9.11、または大量消費の見直しと広がるエコ運動。

高い塔を建てるという事は2種類の支配を意味していると思います。1つは人が人を支配する為の権力誇示。そしてもう1つは自然の法則に打ち勝ち、支配したという証明。実物の塔に限らず、あらゆる分野において力を証明し、繁栄を誇示しようとするその行為は塔を建てるが如しと言えましょう。

ただしそれらの塔が当初の目論見通りに繁栄を維持できるわけでは決して無い。必ず何処かで障害が発生して崩される。かつては誰も大量消費の負債を払わせられるとは思っていなかった。かつては誰も金融工学の負債を払わせられるとは思っていなかった。しかしそれがご覧の有様だよ!バベルの塔は惜しくも崩れた。

それに対し、最近では例えば大量消費に取って代わってエコという新しい塔を築こうとしていますが、僕はそれすら懐疑的に思う。ディスカバリーチャンネルで、最先端のエコテクノロジーを満載したビルの建設のドキュメンタリーがやっているとする。そこでは必ずこのような文句が挿入される。「これは世界最高のビルになりますよ。」と。半世紀前の人も全く同じ文句を言った。

結局の所、いつ何時も人は当時の人間の知が至る範囲でしか物事を見ていない。そして後にそれを崩され、それでもまた新たな塔を建てていく。幾ら繰り返しても懲りる事をしらず、めげる事をしらず。それが人の営み、それが人類の繁栄の在り様なのでしょう。


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