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2009/09/15 - 超えられない壁


『ラブプラス』やっています。最近はクリアする間もなく次々ゲームを買い漁っていたので、結構溜まってきていてヤバイですね。これから年末商戦に向けて次々大作が発売されるのにどうすれば良いのでしょう。しかし『ラブプラス』だけは外せなかった。『Dream Club』もやったんだから、本作を外して良いわけがない。この為にDSも買いましたよ。僕もついにDSデビューです。

一時期は頑なに洋ゲーに固執する時もありましたが、最近はツボを刺激してくれそうな作品ならジャンルや何処産であるかは特には問わないという考えになってきています。但しそのツボの中で僕が特に重視しているのが高い没入感を得られるかという点なので、結果として遊ぶのはそれが大きく発達している欧米の作品中心にならざるをえない。

逆に日本のゲームなんてのは、特に大作ゲームは上記の観点が決定的に欠如しているので自分の興味の対象に入らない。一部はグラフィックスを中心に欧米に必死に追いつこうとしているのは悪くないのですが、しかし欧米の様にそれがイコール没入感の向上に今ひとつ繋がっていない。『Wolfenstein』でグラフィックスが綺麗でも宝の持ち腐れってのと同じで、日本の場合表面上ハリウッドのスタイルを真似している分、余計にその目標点の欠如がダサくて滑稽に見えてしまうのですね。

逆に僕が注目しているのはギャルゲーというジャンル。ニッチだけど決して売れ線ではない。ましてやデザイン的革新とは程遠そうなジャンルですが、一方でアニメやマンガの文脈に最も近いジャンルであるとも言えるし、恋愛のシミュレーションに捧げるその熱意が僕の求めている高い没入感に繋がりそうな気がする。しかもその手法が図らずとも欧米で言うところのFPSに近似している点が尚の事興味深い。日本独自の感性が強く、海外の文脈と通じる部分もあり、高い没入感が得られそうな気がするジャンル。

但し現状はあくまでも気がするだけで、僕が求めている水準とは程遠い。業界でもオタク向けのマイナージャンルだからと一蹴していて決してメジャー格には上がってこないし、『Dream Club』にしてもキャラクターのアニメ的な3D表現やそれに伴った演出等一部光る部分はあったものの、総合的に見れば相当粗が多かった。それにどうせXbox360だしどうせD3だしどうせギャルゲーだしって感じでやっぱ何処か驕りを感じる部分もあった。

ここまでが前回の『Dream Club』のエントリーのおさらいで、前置きが長くなりましたがここからやっと『ラブプラス』です。当初僕はプラットフォームがDSという事もあって本作はノーマークだったのですが、『Dream Club』での欲求不満から何の気なしに情報を集め始めたら次第に強く興味を惹かれていった。実際の24時間のサイクルと連動してゲーム中の女の子とデート等のお付き合いをしたり、タッチペンを使ったスキンシップといった、現実と連動させたシステム等個々の要素で気になる部分もあったけど、何よりも本気のギャルゲーっていう印象を強く受けたのが一番大きい。

本作を開発したのはかの『ときめきメモリアル』を生んだチームとの事。『ときめきメモリアル』と言えば今以上にギャルゲーが冷遇されていた時代にあって、そのジャンルを一般に広く認知させたと同時に一定の市民権を与えた名作。そんな本気のギャルゲーを作った人達が、「国民的ガールフレンド」というキャッチからも見て取れる通り、今回も本気のギャルゲーを作っている。もっとハッキリ言うと本気で売れるギャルゲーを作ろうとしている。ギャルゲーで広く売るというのはそれはもうハードルが高いわけですが、それを乗り越えようとしているという事は必然的にデザイン的革新も期待できるかもしれない。こうなれば後はもう買う以外に選択肢はないのです。

そうした経緯があってDSと共に購入し今日に至るわけですが、一週間程遊び込んでみて率直な感想を言うと完成度はとても高い。少なくとも従来のギャルゲーの方式を汲みつつ、より広く受け入れられそうなスタイルにする事には成功しています。しかしこんな事言っているのは僕くらいなので当然と言えば当然なのですが、上記した様な当初の僕の期待とはやはり相違する点も感じて心中複雑でもあります。ただまずはいきなりその辺突っ込んで話す前に、本作の概要の説明から始めましょう。

本作とこれまでのギャルゲーとの違いは恋人生活のシミュレーションに主軸を置いている点で、『ときめきメモリアル』を始め従来のギャルゲーが描いてきた告白するまでの険しい道のりは前座に過ぎず、本作ではその後恋人同士になってからの甘美な生活をひたすら送る事が出来るのが特徴です。

ゲームの展開は大きく分けて友達パートと恋人パートに分かれており、始めの段階である友達パートでは『ときめきメモリアル』をほぼそっくり踏襲したシステムで進んで行きます。ここでは三人いる女の子のうちの誰かから告白を受けるのが目標で、主人公は一日一ターンとして行動を選択し、またそれに応じた知識や魅力等の四つのパラメータを上げて行く。また目当ての女の子にも会いに行ったり一緒に登下校する等して好感度を上げていき、100日以内に告白を受ければこの段階はクリア。ここまでは従来通りのギャルゲーって感じで、凡百の作品よりも遥かに丁寧に作られてはいるけど取り立てて語るべき新鮮さも無い。


しかし本作は恋人同士になったここからが本番。一日一ターンとして行動を選択しパラメータを上げていく点に関しては変わりありませんが、恋人パートではデートを始めとした様々な彼女とのお付き合いが出来るようになり、更に現実の24時間と連動してゲームを進めて行けるようになります。それまではプレイヤーが望めばゲーム内時間的には何日もどんどん進めて行けましたが、ここからは一日の行動を決めたら実際の24時間を掛けてゲームも進んでいき、例えばデートにしても日曜日の午前10時に待ち合わせと決めたら、実際にその週の日曜日の午前10時にゲームを起動してデートイベントに挑むというかたちになります。一応スキップモードと言って友達パートと同じノリでどんどん進めて行く事も出来ますが、リアルタイムモードではクリスマスや誕生日、期末試験だとか季節に合わせたイベントも盛り込まれており、やはりこちらが主軸と言えるでしょう。

こうしたシステムは巷では『おいでよ どうぶつの森』のギャルゲー版という風に見られているらしい。ただ僕は『おいでよ どうぶつの森』はやったこと無いので良く分からないのですが、もっと時代を遡って『たまごっち』の進化発展形と捉えるととても分かり易いと思います。現実世界とリンクさせて、難しいことは考えずに日々の片手間にちょこちょこと遊んで、その度の彼女のリアクションや見た目の変化を楽しむ。そういうゲームとして見ると本作の出来は素晴らしい。

ゆるいコミュニケーションが命題になっているので、友達パート、恋人パート共に『ときめきメモリアル』と比べると難易度はずっと低く、所謂ゲーム的な手応えは殆ど得る事は出来ません。しかしその分仕込みの量が膨大で、例えば登下校やデート中には様々な会話が発生しますが、一つとして同じ内容が繰り返される事は無く、スキップモードで大分進めてみたけどそれでも常に新しい会話が起きる。また会話以外にも彼女の服装や髪型、更には性格までもが付き合いの中で多様に変移していき、これらは本当『たまごっち』そのもので、単純に眺めているだけでも面白い。


この"眺めているだけでも面白い"というのは現代のゲームにおいて重要な要素で、特にカジュアルゲーマーをターゲットにするのであれば絶対条件と言っても良い。本作もDSというプラットフォームでしかも「国民的ガールフレンド」と言う位だから、その辺凄く意識しているし、その結果としての『たまごっち』化なのでしょう。またそれを実現する為の作りこみも惜しみないし、一貫性も強く感じられる。なのでその意味では完成度が高いとても良いゲームだと思います。しかし良い悪いと好き嫌いは別なわけで、僕はこのゲームは本当良いゲームだとは思うんだけど、でもどうしても好きにはなれない。

その僕が好きになれない理由は、ほぼタッチイベントに集約されていると言って良い。ここでは文字通り彼女にお触りが出来る最近のギャルゲーでは定番のイベントですが、本作の場合タッチペンを使って頭を撫でたりおっぱい揉んだりキスしたりするわけです。一応これが本作のハイライトって事になっているみたいだけど、逆に僕はこの部分が一番気に食わない。

今までアナログスティックでやっていた事をタッチペンに置き換えているのは、身体性の向上という点でそれなりに新鮮ではあります。ところが入力の変化に対して彼女のリアクションだとか言った出力は従来の作品群から殆ど変わっておらず、棒立ちの彼女の頭なりおっぱいなりを触るとそれに応じてつぶやく程度。寧ろ入力が現実に近くなったからこそ、かえって出力の非現実さが強調されてしまい、従来の作品以上に現実空間の自分と画面の向こうに居る彼女とに、決して超える事の出来ない厚い隔たりを感じてしまうのです。


これを解消するには画面の外の現実空間へ彼女を引っ張り出せない以上、画面の中の出力を現実に近いものにするしかない。手を繋ぐシーン、キスするシーンでは単純に棒立ちの彼女にカメラが寄るだけではなく、より実際に目で見るのに近い画角で、繋いでいる自分の手だとかも含めて現実ならば見えて当然のものを当然のように描ききる。更には彼女を取り巻く環境も、単に書き割りで後は彼女が口答で状況説明をするのではなく、ハッキリと目に見えて肌に感じる位に、言葉による説明は全く無くても状況が分かる位に表現する。この辺は『Dream Club』の時と被るのでもうこれ以上は言わないけど、つまりこういう観点で見ると本作もまた『Dream Club』とも従来のギャルゲーとも変わりが無いという事です。

先でも触れたようにギャルゲーというマイナーなジャンルをより大衆のフィールドに落とし込むという点では、本作は首尾一貫していて完成度は高い。それこそなあなあで終わっていた『Dream Club』よりもよっぽど立場や目指しているものはハッキリしているし、その点では価値ある良いゲームだと思います。しかしこのような横軸への発展には意識的なのに、対する縦軸の進化、より濃度の濃い体験だとか没入感に対しては全く無頓着なのが好きになれない。それはあたかも『たまごっち』の様に、或いはタッチペンを使えばリアルっぽいみたいな、良くも悪くもおもちゃで遊んでいるかの様な安直でそこそこな体験しかできないのです。

そういえばタッチペンついでに言うと、欧米ではWiiの大ヒットやカジュアルゲーマーの重要度の上昇によって変わってきていますが、元々は入力デバイスのリアル化と言うか所謂体感系みたいなものに対しては日本ほど強い拘りがありませんでした。例えばFPSの様なゲームだと日本では真っ先にガンコンを想起するものだけど、欧米では勿論そういったものがないわけではないけれど、メインとなる入力デバイスはFPSというジャンルが誕生した当時から、長らくマウス+キーボードで一貫していました。これは"撃つ事や戦う事"以上に"主観的な視点や体験"に対する意識が高いからで、それに伴う画面上の出力の多様化や高度化に対応する為には、ガンコンみたいなものよりもより汎用性が高いデバイスを使った方が合理的なのです。

それに入力デバイスというものはゲームに限らず現実にあるもの全ては、慣れに応じて無意識化されるものです。例えば自転車の場合でも、乗り慣れていない頃は自分の自転車という装置に対する入力が不安で、手元や足元ばかり気になるものですが、上達するにつれ入力は意識に上らなくなり、逆に今自分は何処を走っているのかだとかいった出力の方に意識が集中するもの。ゲームにも全く同じ事が言えて、特に欧米では入力は出来る限り素早く慣れて意識に上がらない様にする為のものであって、代わりに出力の方を最大化する。それは入力デバイスがマウス+キーボードからコントローラに取って代わっても変わらず、その結果として生まれたのが『The Darkness』であったり『Call of Duty 4: Modern Warfare』であったりするわけです。だからFPSって入力から出力に至るまで、本当に人間の認知のメカニズムの理に叶ったジャンルだと思う。

一方ゲームに不慣れな人はそれこそ自転車のように手元足元に意識が行ってしまうものであり、それを逆手にとって入力に面白みを持たせようと設計されたのがWiiでありDSなんだと思います。だからその意味でも『ラブプラス』が「国民的ガールフレンド」になる為に、DSというプラットフォームを採用しタッチペンを使ったイベントをハイライトとして持ってきているのは筋が通っている。ただやはりそこから生じる面白みは慣れるまでのものなのであって、特にその傾向が強かったWiiは入力に慣れた時のその先の受け皿が無かった為、最近になってユーザー離れが進んでいて『モンスターハンター3』やクラシックコントローラPRO等、出力の面白さの拡充に躍起になっています。DSはそれほど極端ではないけれど、抱えている問題の本質は一緒だと思う。

ただ今後は出力を取るか入力を取るかと言った二者択一ではなくなり、両者はより混合して曖昧な関係になってくるかもしれない。そう感じさせるのが、Microsoftが今年のE3で発表したXbox360向けの新デバイス、所謂『Project Natal』と呼ばれているものです。その中でも僕が特に気になったのは、かのPeter Molyneux氏が開発に関わっている『Meet Milo』というデモ。


まだ情報が少ないので憶測で話すしかない部分も多いのですが、一見するとWiiのヌンチャクコントローラやWii Fitを更に拡張した物のように見えるし、実際にWiiを意識しているのは講演の内容を見てもハッキリ分かる。しかしこの開発にはPeter Molyneux氏の他にもSteven Spielberg氏も関わっており、その事からもWiiとは違う、それこそ欧米のゲームが映画から派生してきているように、それまでの文脈を強く背負ったものになるのではないでしょうか。

この『Meet Milo』にしても少年と掛け合いをしながらじゃれ合うという点では『ラブプラス』やギャルゲーと共通する部分もありますが、僕が先に触れた出力のリアリティに物凄く拘っているのが分かる。話す時はただ棒立ちではなく、共に歩いてみたり、身長差から見下ろし気味の視点になっていたりと、これまでのFPSがそうしてきたように、現実ならば当然起こりうる事をここでも当然のように描いている。

そしてそれまでの文脈から来る没入感を、自身の身体を使ったインタラクティブ性によって更に拡張しようとしているのが面白い。最も分かり易いのは画面上の池を空中で手でなぞる事で、画面上でも波紋が生じる場面。ここまではWiiでも出来る事ですが、『Project Natal』ではそれに更にプレイヤーの姿をスキャンして波紋にそれを映して見せている。こうした出力はこうしたデバイスでなければ出来ない事で、欧米のゲームのインタラクティブ性や没入感に対する考え方を端的に表している場面だと思います。

他にも少年との会話だとか何処まで実現できるのかは分からないけど、これまでの文脈と地続きなのは分かるし、そうであってこその次世代だと思う。だから僕は『Project Natal』には凄く期待しているし、逆にだからこそ日本ももっと頑張って欲しいのですよ。向こうがWiiを汲み取りつつも自らの文脈に合わせてこのようなものを出してきたのだから、こちらももっと向こうから学びつつもこちらの文脈に合ったものを作らなければならない。そしてその可能性を感じられるジャンルとして、ギャルゲーというかギャルゲー的表現手法というのはもっと真剣に考えても損はないと僕は思うんですけどね。

最後に『ラブプラス』に話が戻りますが、この作品も最初に褒めた会話量の膨大さや彼女の容姿が多様に変化していく点は誇れる事だと思います。だからこそそれを『たまごっち』的な面白さに終始させただけなのは、それが狙いだとはいえ個人的には残念でした。もし次があるのなら、その時はもっとその作りこみを縦軸の進化へ、より深い没入感を味わえるものにしてくれればと願います。もっとハッキリ言うと『Project Natal』のノリで彼女とデートできるゲームを作ってください。お願いします。

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