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2009/10/24 - 今時のサロメはロボットダンスがお好き


前のエントリーから一週間以上空いてしまいましたが『FATALE』の感想です。Tale of Talesとしては五作目に当たり、新約聖書のサロメをテーマにした作品。サロメはこれまで何世紀にも渡って様々な形で作品化されてきたモチーフですが、本作は特にオスカー・ワイルドの戯曲から影響を受けている様です。

本作において特に注目すべきは、日本から佐藤隆善氏が開発に関わっている事でしょう。佐藤隆善氏については『The Path』のエントリーの方でほんの少しだけ触れましたが、ここで今一度解説すると初期『Silent Hill』シリーズのキャラクターデザイン及びCGデザインに携わった人で、特に初代『Silent Hill』において、1998年の文化庁メディア芸術祭のデジタルアート部門で優秀賞を受賞されている事で有名だと思います。

Sato| Works.com - 佐藤隆善公式ホームページ

また今回の件で色々調べていて分かったのですが、氏は多摩美術大学の油画科の卒業生という事らしくて、つまり僕にとっては直々の先輩に当たるわけですね。そして『Silent Hill 2』の後はコナミからEAに移り、『GoldenEye: Rogue Agent』や、ちょっと前にキャンセルが発表されてしまった『Tiberium』に参加という経緯を経て、現在はVirtual Heroesというスタジオでシリアスゲームの開発に携わっているとの事。

一方Tale of Talesとの繋がりは、元々同スタジオが氏や『Silent Hill』シリーズの熱烈なファンである事から端を発している様です。まぁ『The Path』を見れば、言われなくても猛烈に影響を受けているのは明らかだったし、08年には氏とのインタビューも行われています。ここではゲームというメディアに芸術的創造の機会を求めていて、そうした動機からシリアスゲームに関わるようになったと触れられており、ここからTale of Talesと合流して『FATALE』へ繋がって行ったのではないかと想像します。

ある時は国際的メジャーゲームに携わっていた人がシリアスゲームに転換するというのはあまり聞かない事で(ニュースにならないだけで現場では当たり前の事かもしれないけれど)、ましてやインディーズゲーム界の中でも特殊な立ち位置である、アートゲームの開発スタジオに合流するというのはとても珍しい。また同じ日本人同じ大学という点で、表現者の先輩として畏敬の念を感じる部分も個人的にあり、いずれにせよゲーム表現の広がりに期待が持てる事例としてとても興味深い事だと思います。

しかし、しかしですよ。そうは言ったは良いんだけど、肝心の『FATALE』の方はどうなのと言われるとこれが微妙。この手の作品は鑑賞者の好みによって印象が大きく左右するものなので、一概に良い悪いを断定するのも良くないのですが、少なくとも僕にとっては『The Path』程良いものではありませんでした。

作品の構成は大きく分けて牢獄のパートと広場のパートとダンスのパートの三つで、それぞれ内容が異なります。まずゲーム開始直後の牢獄のシーンでは、プレイヤーは囚われのヨハネとなりますが、牢獄の中なので基本的には辺りを歩き回る位しかできません。頭上の鉄格子の向こうの広場では、今まさにサロメが踊っている様子が確認でき、踊りの進行に応じて画面下部に、ワイルドの戯曲に登場する"7枚のヴェール"を模したインジケーターが表示されていき、同時にヨハネのぼやきが空間上に文字で表示されていきます。ダンスが終わりインジケーターが溜まると奥から執行人がやってきて、そのまま首を切り落とされてこの段階は終了。


続いて今度は本作のメインとなる広場のパートになります。ここでやる事は光が灯っている物を探してそれを消す事。対象となる物体は発光と同時に円形の波紋を出しており、それに近づきカーソルを合わせると、周りが『Silent Hill』の裏世界さながらの見た目へと変貌し、同時に放射状のエフェクトが出てきます。この放射状のエフェクトがある程度中心に収束してきたところでキーを押すと、今度はその物体にクローズアップした視点になり、黒いモヤモヤみたいなものをカーソルで動かす事が出来るようになるので、それを光の方に持っていくと、光がどんどん弱まっていき最終的に消す事が出来ます。するとまた別の場所に光が灯るので、同様の行為を繰り返す。また光を消していくと、その度放射状のエフェクトに一つずつ文字列が加わっていき、これが全て埋まるとこの段階は終了。しかしこれより次の段階に進む為には一度ゲームをシャットダウンしなければなりません。


そして再びゲームを起動すると今度はヘロデ王の視点となり、サロメの踊りを間近で見ていく事になりますが、ここはもう完全に見るだけで、カメラをアップにする位しか操作は出来ません。ここでダンスを最後まで見届けたところでゲームは完全に終了します。


まぁこんな感じでとにかく不可解な内容で、一応ゲームの流れを取りこぼし無いよう説明したつもりですが、しっかり伝わる自信がありません。しかしそうであるとしか言い様がなく、個人的には『The Path』以上に掴み所が無く感じました。ただ本作も『The Path』も、様々なオブジェクトにインタラクトして行き、その行為性によって色々なものを感じ取っていく事を促す作風は共通しており、そういう意味では見た目の大きな違いこそあれど、やっている事は基本的に殆ど一緒だとも言えるでしょう。

では何故『The Path』よりも良くは感じなかったのか。それはまずは先ほども書いたとおり、好みの差によるものがあるのは間違いありません。どちらの作品も見た目に強く依存する作風で、故にその見た目が好きかどうかという点が作品を評価する上での大きな指針になります。

例えば僕なんかは『The Path』のような死の雰囲気や生理的な嫌悪感を感じさせる作風はとても好みで、例えそれで表しているものが具体性に欠けて掴み所が無くても、それも含めて肯定してしまう位好物なのですね。一方本作の西洋古典絵画から世紀末芸術的な様式も嫌いではなく寧ろ好みなのですが、しかし比較論で言うと流石に『The Path』程ではない。しかしこれはあくまでも僕の場合の話であって、全く正反対の好みの人も当然居るだろうし、そうであれば本作から受ける印象も大分違うものになるはずだと思うのです。


とは言え好みの問題も然ることながら、客観的に見ても『The Path』と比べてその表現に不足を感じるのも事実です。その不足とは単に言って簡素になったという事。その簡素とはグラフィックスが綺麗汚いとか言った 商業作品的な評価軸ではなく(寧ろその点では本作のグラフィックスは今までの中で一番リッチ)、芸術作品として『The Path』と比べると手が込んでいないという事です。

これに関しては『The Path』の事例の方から先に述べた方が分かり易いでしょう。『The Path』は様々なオブジェクトにインタラクトして行くその行為は、シンプルながらも色々な表現要素が組み合わさった、複合的な体験になっていました。例えばそれはオブジェクトにインタラクトした際のキャラクターのアニメーションであったり、或いはプレイヤーの状況に応じて多様に変化する音楽であったり、或いは薄暗い森の中を駆け回る事であったり、或いは何種類ものHUDとエフェクトによって重層化された画面であったりと、兎に角色々な方法で感受性を刺激してきて、その為例え非直接的な表現であっても作品世界の広がりを感じられて、また想像力もかきたてられたのです。

これが本作になるとどうか。オブジェクトは皆静物なのでアニメーションも何もあったものではないし、音楽も何の捻りがなくなり殆ど普通のBGM。探索出来る範囲は広場の一画内と相当限定されていまっているし、画面のエフェクトも商業作品と同水準程度で『The Path』と比べると大分質素です。このように『The Path』では色々な方面に開かれていた想像を喚起させる要素がどれも減退してしまっており、まともに想像力を働かせられる機会は、インタラクトしていくオブジェクトの、静物としての美しさに対してのみになってしまっています。

そしてその静物としての美しさが『The Path』の複合的な体験に匹敵しうる魅力を持っているかというと、残念ながらその域には達していない。確かにグラフィックスは今までの作品の中で一番高度ではあるし、各オブジェクトは新約聖書やワイルドの戯曲にちなんだものの他にもiPodやエレキギター等現代のものまであって、何やら図像学的な暗喩が込められているようでもあります。しかしそれでもやはりそれ単体での観賞に耐えうるレベルではありません。

よくよく考えてみると、本作はこの他にも最後のサロメのダンスシーン等、随分とストレートにグラフィックス技術に依存した演出が多い様に感じられますが、もしかするとこれは佐藤隆善氏のアートワークを最大限に見せたいという思いがあっての事なのかもしれない。しかしそうだとするならばその判断は間違いです。グラフィックス技術を見せるという横綱相撲の如き演出は、大金叩いて作られているメジャーゲームでも成功させるのが難しい事であって、ましてや超ローカルなインディーズのスタジオがやるなんて、技術力が追いつかないので絶対無理だと思うのです。

しかも本作はそれでダンスの表現をやろとしたわけですが、これは相当無謀に近い試みなのではないでしょうか。だってメジャー級のゲームですら、本当に心を奪われる位のダンス表現なんて見た事ないよ。それでも本作は果敢に挑んで見事に撃沈、魅惑的であるはずのサロメの舞は、ものの見事にカクカクなロボットダンスと化してしまっています。

この他にも高いグラフィックスを望んだ分、その反動なのか表示バグも多発していて整合性を取れていません。特にLOD周りが上手く制御出来ていないようで、ダンスのシーンでサロメの目玉が引ん剥くのはマジ勘弁して欲しかった。


こういう事になるから、やはりインディーズはあまりグラフィックスは高望みしない方がいいし、また遊び手も端からそんな要素求めていません。それよりかはやはり『The Path』の様にHUDを応用して画面のエフェクトを重層化させるとか、そういうアイディアを前面に出して、メジャーの価値観を解体していくかのような方向性が望まれるはずです。『The Path』ではその点をかなり深いレベルで理解して作られていたからこそ、グラフィックス技術は低くても、とても魅力的な画面になっていました。そうした経験があるにも関わらず、今回道を踏み外してしまっているのは残念です。

またリリース日に目を向けると、本作は『The Path』から僅か半年足らずで開発されているんですよね。制作意欲があることは大変素晴らしい事なのですが、実際中身をを知るといささか急ぎ足過ぎたんじゃないかとも思います。粗製濫造したって何の意味もありませんからね。

尚現在は修正版がリリースされて、ここで触れた目玉が引ん剥く等の致命的なバグは修正されているらしく、その分評価は持ち直すでしょう。それに何だかんだ言って、やはりこの様式に対する好みによって大きく印象が左右されるものだと思うので、その点も留意が必要です。ただ僕はあまりピンと来なかったかなぁ。『The Path』と比べると本作の方が見た目のとっつき難さという点では優しいですが、それでも僕は『The Path』の方を推します。また佐藤隆善氏は今回限りのゲスト参加なのかどうかは分かりませんが、もしまた次があるのであれば、その時はもっとじっくり作りこんだ中で、その作風を活かして頂きたいです。

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