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2009/12/01 - 「はい、アーン」を待っているだけ
『Call of Dury: Modern Warfare 2』です。プレビューの段階で既に今年のGOTY確定のような出来レースの中で発売され、初日で三ヶ国で470万本を売り上げエンターテイメント界の記録をあっというまに塗り替えた怪物タイトル。また本作は開発費高騰によるゲーム業界のハリウッド化を象徴する作品でもあり、猛烈なキャンペーンを展開して消費者を煽りに煽りまくり発売後一気に回収するその姿は、正に大量消費社会の権家そのもの。一方PCゲーマーからは彼等への冷遇的態度から反感を買い、これまた猛烈なバッシングを受けている真っ最中でもあり、今日のゲーム業界の功罪を様々な意味で一挙に背負った存在と言えます。
日本では12月10日にスクウェアエニックスから発売されますが、僕は一足お先にUS輸入版を入手。本作のPC版は国別の規制が掛けられていて日本国内ではアクティベーションが不可なのですが、僕はごにょごにょごにょして無事遊んでおります。この辺は各自調べてください。
とりあえずシングルキャンペーンをクリアして、現在は二周目の途中。本作にはマルチプレイやSpec Ops等それ単独で成り立つゲームモードが含まれていますが、今回はシングル限定で話を進めていきます。ただそれでも書くべき事は色々とあるのですが、まず一言でまとめると本作は前作のバージョンアップ版。より豪華になってはいますが、作品を作る上での文法それそのものは殆ど変化していません。だから良くも悪くも順当な続編らしい続編で、『Call
of Duty 2』から『Call of Duty 4: Modern Warfare』で起きたような、一大転換は感じられません。とは言え気になる差異を幾つかあるし、前作が発売された当時とは状況が変わっているので当然作品から受ける印象もまた変わってくる。今回はその辺を中心に書いていこうかと思います。
シングルキャンペーンは前作から5年後の物語で、世界を危機に陥れるもその野望を打ち砕かれたImran Zakhaevに代わり、新たにVladimir
R. Makarovがロシア超国家主義派の指導者となり、世界を再び混沌の渦に巻き込むべく暗躍する。彼はZakhaevが成し得なかった野望を実現する為アメリカ人の犯行に装ったテロを画策し、その策略に嵌ったロシアとアメリカは全面戦争へと突入していく。
今までのシリーズ同様、物語は複数の主人公の視点を交互にザッピングしていく形で進んで行き、その中でもメインとなるのはGary "Roach"
SandersonとJames Ramirezの二名。前者は特殊部隊Task Force 141の一員として世界をあちこち飛び回りながらMakarovを追っていき、後者はアメリカ軍の一員としてロシア軍に立ち向かっていく。この構図は前作とほぼ同じで、具体的な個々のシークエンスの味付けも前者はストーリー重視、後者は大規模戦闘重視と前作のフォーマットを殆どそのまま踏襲。その意味で本作は前作からの抜本的な変化は感じられません。
逆に前作と違うのは、色々なものが過剰になっているという事。例えば前作は高い体験性を生み出す為に、主人公の上官という形でゲームの先導役を配置する事でプレイヤーの視線や動きをコントロールしていましたが、本作はそれに加えてゲーム中常に360度にど派手な演出を配置しまくる事で、プレイヤーの動きや視線など関係ないものにするという荒業に出ています。同様に元から極めてスピーディーだった進行は更に早く、対峙する敵の量も無限沸きこそ無くなったものの全体的には更に増量する等、このシリーズで特徴的だったあらゆる要素がインフレを起こしています。
その勢いはさしずめMichael Bay映画の如しで、理屈は二の次で兎に角迫力が出れば良いんだという開き直りすら感じられて、これはこれで凄い。しかしそれは見方を変えると飽和状態を作り出して鑑賞者を思考停止に追いやっているようなものでもあり、瞬間的な迫力こそあれど深く心に残る様なものではない。本作で感じる問題点の一つは、こうした目先の凄みを優先するあまりに軽薄な内容になってしまっているのではないかという点です。
特にそれを強く感じるのがストーリーで、本作では幾つかの脚本上のどんでん返しが起きるのですが、それが『BioShock』のようなゲームというメディアの特性を内省する自己言及的なものになっているのならまだしも、本作は単に話を盛り上げる為だけにそうしているという気がしてかえって白々しく感じます。またここで自己言及的と書きましたが、最近ハリウッド映画界で勢いのある自己言及、或いは自己反省型の作風に本作も当て嵌めようという意図が感じられてこれまた興ざめ。
自己言及型というのは平たく言ってアメリカ人がアメリカ人としてアメリカという国家や民族の在り方、アイデンティティーについて問う内容のもので、対テロ戦争が混迷化しだした辺りからそういった作品が増え始め、昨年一世を風靡した傑作『The
Dark Knight』はその一つの完成形と言えるでしょう。この作風は流行りだしまた良作も多い事から、元々現代戦争をテーマにした本作がそれと結びつくのは意外でもなんでもないのですが、結果を見てみると何とも薄っぺらい。
例えば『The Dark Knight』は対テロ戦争やひいてはアメリカ国家のアイデンティティーであった善悪二元論の歪みを、同じくその価値観を基盤とするアメコミでもって表現する等、分かり易くも深みのある様々なメタファーを駆使していました。しかし本作にはそういった気の利いた仕掛けが全く無いと言うわけではありませんが、あっても『The
Dark Knight』と比べると陳腐なもの。結局映画に近づくという事はそれと同じ基準で計られるという事でもあり、そうした場合幾ら本作と言えどもまだまだ本場のハリウッド映画とは歴然とした差があるわけですよ。まぁとは言え本作以前の所謂映画的ゲームと言ったら『Gears
of War』の様なフジヤマッチョが関の山だったので、敵わないなりにも同じ基準で見られるようになったのはある意味では進歩と言えるのかもしれません。
続いてもう一つの問題点はボリュームが少ないという事。プレイ時間はおよそ5時間。普段僕はその作品にあった長さであれば単純なプレイ時間が短かろうが長かろうが構わないのですが、本作に関してはやはり短いと判断せざるを得ない。そしてその割には詰め込みすぎです。
もっとも作り手からしてみればそれは想定通りの事なのかも知れません。これもやはり先ほど述べた事と被りますがより過激な体験、より映画的な体験を目指した結果、尺を切り詰めてでも時間に対する体験密度を高めようとしたのだと思います。また内容が映画に近づけば近づくほど、おのずと表現が成立するのに必要な適正時間も、映画のそれに近づいていく。
しかしどこまで映画に近づいてもゲームはあくまでもゲームであって、映画のセオリーとは必ずしも相容れない。個人的にはゲームとはプレイヤーが相互にシンクロし、プレイヤーがゲームの出来事を自らの体験そのものとして捉え、その一つ一つに一喜一憂出来る様になるには、しかるべき時間としかるべきペース配分が必要だと思っています。そしてそれは映画よりも多くの時間を必要とする。
ところが本作はそうしたゲームのセオリーに付き従っていない。勿論そうする事で新たな良い効果が発揮されるのであればどんどんやってもらって構わないのですが、本作の場合はせわしない割にあっという間に終わるという印象しか抱けません。お得意の主観視点によるストーリーテリングも、本作では操作キャラクターが前作以上多く居る上に目まぐるしく変わっていくので、今自分は誰であって、どういう状況におかれているのかが全く実感として沸いてこない。ゲーム中で起きるイベントや上官の命令も同じ様に極めてせわしなくて追っていくこともままならず、会話は聞ききれないし何が起きているかも把握しきれない。
こんな感じなので遊んでいてゲームと自分との距離を一向に縮められません。前作のあのMacmillan大尉との二人三脚感や、Price大尉を始めとしたチームメイト達との一体感は、やはりあの尺とあのペースだからこそ得られたもののはず。本作も様式は同じ様な事しているけれど全然響いてこないし、作り手も多分それは分かっているはず。分かっているからこそゲームのラストでは本作で新たにプレイヤーとの一体感を構築するのを破棄して、前作で築いたものをそのまま流用するしかなかった。この辺はネタバレになるので詳しくは言えないのですけれども、ああいう展開は前作を遊んだ人ならまだしもそうでない人には伝わらないでしょう。こういう所に本作の弱さを感じてしまいます。
後は物語という観点のみならず、シューティングゲームという観点から見てもこの短さは頂けない。ここまで触れずに来てしまいましたが、実は本作のシューティング部分は意外にも良く出来ていて、前作でうんざりさせられた敵の無限沸きを始めとした不評なデザインを撤廃する等して、従来のイメージを保ちつつも理に叶った内容になっています。またステージごとに違ったシチュエーションを用意していて趣向も凝らしており、中にはある程度自由に移動し一進一退しながら敵を殲滅していくという、今までのシリーズらしからぬ試みもされている場面もあっていずれも面白い。
ただこれもやはり一つ一つの尺が短い為、プレイ中は常に欲求不満気味。当然全体の尺も短い訳ですから、最後までクリアしても達成感が沸きづらい。Spec
Opsはそうしたボリューム不足をカバーする為に設けられた側面もあるのでしょうけれども、僕としてはもっと長い時間をキャンペーンで過ごしていたかった。
そして最後になりますが僕が本作をやっていて一番気になったのが、これをわざわざゲームというメディアで表現する必然性ががあるのかという問題です。ハッキリ言ってプレイ動画見るだけでも十分なんじゃないんですかね?またこういう意見が出てきた時に自信を持って反論できるほどのゲーム的な強度や必然性が本作には一体どれ位あるのでしょうか。話題に上がるところ、注目すべきところは派手な演出やストーリー等映画的な文法に拠ったものばかり。一方ゲーム的な要素は削りに削られ、シューティングは質の良いおまけと化してきているし、プレイ時間もどんどん短くなってきている。この問題は前作でも感じましたが、本作はより一層深刻です。
また見方を変えると本作は幾ら映画に近づいたと言っても所詮はゲームでしかなく、本場の映画と比べると本作の映画的な要素は酷く陳腐で幼稚。作品側から観客へ情報を一方的に伝達する能力で言ったら、映画はゲームよりも遥かに歴史もノウハウもあるんです。それに最近では『REC』だとかいった主観撮影の映画が出てきているし、これらは一方向的な映画の特質を強みとし、それを最大限活かして表現している。なのに本来双方向的メディアであるゲームが、敢えて似たような一方向的な表現をする事に一体何の意味があるのですか。
だから本作も派手な演出やストーリーで映画的とは言っても、それが最終的に双方向的な仕掛けで完結されていればここまで文句は無かった。またこれは前作の課題でもあったのでそこが改善される事こそを期待していたのだけれど、結果はそうした所は手をつけられず代わりに末端の演出が派手になるとか余計なものが増えるばかり。確かに今までになく派手ではあるけど、寧ろそうした力技だけで押して本質的な部分を曖昧にし、上手く騙くらかそうという魂胆すら見えてきて浅ましい。これでは本当派手なだけな一過性のハリウッド映画と変わらなくなってしまう。
ただもうこの際このシリーズはこのまま勝手に突き進んでもらえば良いとして、心配なのが本作がもたらす業界への影響です。本作ほど極端な作品は他にはありませんが、ゲーム業界がハリウッドを追従する傾向は確実にある。ただこうした路線はとても金が掛かるし、当然そのお金を回収しなければいけないわけですから、おのずと中身も即物的で一過的で、その時売れる事だけしか考えないような内容のものが増えてくる。と言うか業界はもう既にその状況に陥ってしまっているのですが、前作の『Call
of Duty 4: Modern Warfare』はそうした業界の第一線をリードしつつも、当時としての表現の革新性も同時に持ち合わせていたところに、評価できる点というか業界にとっての良心を感じていたのですよ。ただ最早それも無くなると、いよいよ今後の発展に期待が持てなくなってきてしまう。
但し見方を変えればこの作品は今世代のゲームのデザイン文法の限界や、ゲームのハリウッド化や、他にも多くの今日的な問題を一挙に抱えていて、その意味で必要悪としての価値は抜きん出ていると言えます。願わくば他のゲーム開発者達は本作のそういった側面を捉えて、ただべた褒め、するだけではなく反面教師として捉えてもらいたい。そして本作で行われた事を、それよりも更に先へ行く形で否定していって欲しいです。
但し最後に一つだけ良かった所を挙げると、一番上の動画に収録した空港襲撃シーンをプレイアブルな形で描いた事は意義深い事だと思います。別に民間人を殺害できるゲームは本作が始めてではありませんが、これまでの作品が巧妙に避けてきた残酷性をストレートに表現しきるというのは、ゲームがより高度なメディアになる為に必要な事でした。もし同じ様な事をそこそこ程度の作品がやっても各方面から袋叩きに遭うか殆ど認知されずに終わるかのどちらかで、本作ほどの大作がやってこそセンセーショナルで意義深い事になる。こうした既成概念に対する反骨精神、ゲームの表現力の幅を広げる様な試みを、僕は今後も期待しています。
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