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2009/11/10 - えいっ!やあっ!えいっ!やあっ!


今年夏からずっと制作していた作品がついに出来上がりました。期間にして凡そ二ヵ月半。油彩とCGの二つの技法を何度も行き来しながら描くという、未だかつて無い(と思う)方法にチャレンジした意欲作。そして結果はものの見事に大失敗だ!一体NaBaBaはこれだけの期間に何をやっていたのか!?また何をやろうとしたのか!?これから順にご説明致します・・・ タイトルは『えいっ!やあっ!えいっ!やあっ!』。

1.制作までの経緯と本作の狙い

本作の発端は5月末にPixivフェスタ向けの『Big Father』を描き上げたところまで遡ります。オタク・サブカルとファインアートとの完全な一致を目標に作品作りをしてきた僕ですが、『Big Father』の時点でその理念を優先するあまり表現内容に自制が掛かり、それがかえって作品そのものの面白さをも失わせてしまっているのではないかと思い始めました。その反動で『逃れられるのものなら!!』という自己倒錯的な方向性を高めた作品を作ったのですが、今度は今まで掲げてきたCGで描く事の意義、オタク・サブカル的な文脈に接地させる事の意義がうやむやになってしまった。こうしたあちらが立てばこちらが立たずという状況に悩んだ中で、Pixivフェスタ当日の僕を含めた展示や参加者の姿勢の不甲斐なさを見て、このままのやり方では不味いと感じたのです。

僕はオタク・サブカル的な作品は、デジタル上で成立し完結する事でその真価が発揮されると信じています。90年代終盤から制作環境が従来のアナログからデジタルに代わり、それに追従してコミュニティもそちらに移り、制作から公開、観賞までが全てPC上で行われるようになりました。古くはお絵かき掲示板、そして今ではPixiv。オタク・サブカル文化は他のどの文化よりもこの時代の流れに適合し、それを己の強みとしてきました。

しかし一方で本来デジタル上で成立する事が固有価値のオタク・サブカル的な作品が、その己の価値をより高めようとした時、過去のアナログ時代の文脈を取り入れようとする傾向もしばしば見受けられます。例えば油絵のようなタッチを敢えてデジタル上で再現して描く。または同人誌やポスター等の媒体へ出力する。これは本来無限複製が可能なデジタル上の作品に、何とか有限性や唯一性といった他には代えられない価値を付随させたいという意思の表れに他なりません。映像や音楽作品よりも、静止画のCG作品にその傾向がより見られるのは、絵画というメディアが長らくそういった有限性や唯一性、しかも物理的な面にその価値を見出してきたからでしょう。

こうした傾向自体は悪い事ではなく、寧ろそこがオタク・サブカル文化が真の揺ぎ無い価値を獲得するために今後取り組むべき課題です。現状デジタル上の作品は、唯一性の無さを理由に、アートの文脈ではその価値を認められていません。率直に言ってマーケットで価格を付けてもらえない。例えば僕が夏にバイトで手伝っていた会田誠さんの作品は、PhotoshopやIllustratorで作画したものを巨大に出力したものが基になっていますが、それだけでは駄目でその上にアナログで加筆してやっと作品として認められるのです。ただそれでもデジタルデータを出力したものを使っているという時点で、ほぼ無条件にギャラリーからは嫌がられると言います。また僕自身にも過去に何度かギャラリーからの問い合わせがありましたが、大体決まり文句が「一品物でお願いします」ですよ(そういうのは勿論No thank youです)。

しかしじゃあ今例に挙がった会田誠や村上隆は世界的に認められているではないかという意見もありますが、僕は少なくとも彼等がオタク・サブカル文化の価値と強度を上げたとは思っていません。彼等はあくまでも村上隆であれば現代美術、会田誠であれば日本画の文脈の住人であり、そこにオタク・サブカル的な様式を拝借してきているに過ぎない。そしてその姿勢は多分に批判的、否定的です。先の会田さんの作品にしても、彼はこの作品で扱っているものは日本社会の憂うべき問題だと言っていました。それが世界で評価されるわけですが、僕にはそれがまるでかつての人間動物園のような、差別や軽蔑とそれに基づいた好奇心によるものにしか思えない。僕は絵描きの端くれとしては彼等を凄く尊敬していますが、しかしオタクとしては認められたものではありません。

デジタル上で描き続けているだけでは、それがどんな内容でも認めてはもらえない。そしてオタク・サブカル文化は心の奥底でこれまでの絵画やアートの文脈と自らが繋がる事を欲しています。しかしそれはアートの文脈からオタク・サブカルを扱うという姿勢では駄目だし、逆も同じ。自らのアイデンテティーは失わず、両者の長所を獲得し両者の短所を克服した地点を目指さなければ。またこれは見方を変えると両者の行き来が一方的なのが良くないのかもしれない。アートの文脈からオタク・サブカルを取り入れ、そしてそれをまたオタク・サブカルの方へ再度取り入れ直してはどうか。そしてそれをまたアートへと取り入れ、またそれをオタク・サブカルへといった具合に何度も何度も行き来すれば良いのではないか。

具体的に言うとアートとオタク・サブカルの関係をアナログとデジタルの関係性に置き換えた上で、デジタル上で描いたものを印刷し同サイズのパネルに貼り付け、それに加筆した後写真に撮ってもう一度デジタル上の処理に引き戻す。それを繰り返せば最終的にデジタル上とアナログ上に、図柄は同じでありながらニュアンスの異なるものが二つ同時に出来上がる。両者ともデジタルとアナログとで自らの立場は規定され、それを崩す事は出来ないが、何度も行き来する事でそれを限りなく薄くし、お互いが無いとお互いが成り立たないという夫婦の関係を作りあげる。そしてその関係性でもって両者の統一を実現してみせる。

こうした考えとアイディアから、本作の制作が開始しました。

2.メイキング

折角なので本作の制作過程を公開します。本作の一番の狙いはこの行為性にあるので図柄は二次的なものですが、どうせなら深く関連性のあるものにしたい。そこでまず僕がアートを学ぶ学生として培ってきた、白黒を主体とした油彩の描き方と、一方オタク側の人間として培ってきたリアリズムとキャラを混ぜた描き方を混在させ、そこに更に油彩で描かれた男がCGで描かれた女の子とセックスするという図柄を考案しました。

これはアナログとデジタル、またはオタク文化の因果の様なものです。例えばエロゲーのエッチシーンは大抵の場合、男は極力画面に描かず、描いても顔は隠すなど没存在感に努めています。また中には主観視点になっているものまでありますが、これはそのエッチシーンがプレイヤーにとってゲーム内世界や相手の女の子に没入し、一番現実と非現実の見境が無くなる瞬間だからです。だから敢えて主人公の存在を消して没入感を高める、あたかもプレイヤーと画面の女の子が本当にエッチしているかのような状態をシミュレートする。しかしあくまでも相手はモニターの向こうですから本当のエッチはできません。モニターの中に飛び込むこともできないし、悲しいですね。

この関係性は、僕がやろうとしているデジタルとアナログの壁、オタク・サブカルとアートの壁ととても近くて似ている。ならば夫婦の関係の構築にちなんで、この問題もパロディしてやろう。実際には上の男は油彩のみで描き、下の女の子はCGのみで描き、シーツなどの背景は両方で描くというルールを決めて制作しています。彼等は決してお互い触れ合う事は出来ないのです。


一段階目。左が一番初めのPhotohopでの作画で、右がそれを印刷したものをパネルに貼り付け、その上から更に油彩で加筆したもの。当初は滴る汁等は交互に行き来する予定でしたが、処理が複雑になるので最終的に却下。またここでは四枚のコピー用紙の張り合わせなため、つなぎ目が油で固化して目立ってしまっています。


二段階目。CGの方は女の子の身体を描きこみ開始。油彩は男を同様に描きこみし、全体を通して一番禍々しい図になっています。またCGの方で若干の構図の変更を行った為、油彩の方が透過した下の図とのズレが生じてしまっています。このズレは実はCG、油彩共々本作の画面効果の中では結構重要な要素。重層化すると、ぼやーっとした画面を作り出します。

また当初の目論見では、紙を上乗せすると下の絵の具のマチエールによって変な凹凸が出来るのではないかと思っていましたが結果は全く逆。紙を接着させる時の圧迫で下の絵の具は潰され、十分に乾いていればタッチはそのままにとてもフラットな画面になる。この効果は目から鱗で、正に油彩をCGの質感に近づける技法と言えます。


三段階目。CGは体に加えて髪の毛を更に描きこみ。油彩も体に加えてシーツを更に描きこみ。油彩の方はオイルの配合ミスで、画面が斑模様になってしまっています。またCGの方はレイヤーの多層化でどんどん彩度が上がり、油彩は紙の多層化でどんどん暗く。この彩度と明度の調整は本作の一番の難題で、CGは色々と弄る事が出来ますが油彩は殆ど成す術が無かった。上の完成図の写真が色やコントラストがとんでもない事になっているのは、元の絵が滅茶苦茶暗くて加工しないとまともに見れないからです。

それとこれらは単に上乗せするだけだとノイズや汚れがが目立ってしまうので、乗せた後はどれも新規に描き直しています。段階が上がる毎に少しずつ分量は減っていきましたが、この各段階毎に同じ図をそっくりそのまま描き直すという作業は辛くて辛くて仕方が無かった。CGが6段階、油彩も6段階で、計12回同じ絵を描いているんですよ!これのモチベーション維持が一番大変でした。


四段階目。そろそろ完成図に近くなってきています。CGの方のシーツは一度写実的に描いた上に、油彩の表情を上乗せして作っています。また油彩の方は画面に空間性を出す為に、この段階では中距離以上のみ描きこみ、それ以下は紙を貼り付けたままの状態を温存。この要領で段階ごとに描き分けていけば、上手く空間性が引き出されるのではないかという作戦。


五段階目。ほぼ完成図と一緒。CGではベッドのさらに遠方の背景を描き、油彩は近距離のみ描く。ちなみにこの段階の油彩の紙を貼り付けた直後の状態が、本作の作業の中で一番素晴らしい画面効果が出ていました。


どうですかこの色この透明感。乗せた紙が綺麗に透き通り、男と女の子とシーツとで三種三様の表情が描き分けられています。しかも紙の多層化によって、何ともいえない空間性も出ている。間違いなくここがベストの瞬間でした。しかしここで終わらせられなかったのは、絵の左端の部分の紙の下の絵の具が溶けてしまっていて、この部分だけ明らかに別の表情になってしまったからです。絵の具の乾きが不十分なまま紙を乗せようとした事と、オイルの配合の細かな違いが原因ですが、この効果自体は面白いものの今更取り入れられる状況ではない。またこれらはフラッシュを焚いて撮っており、逆にそうでもしないと全体が暗すぎてディテールが潰れて見えてしまう状況でした。

その為最後の加筆の後に薄くホワイトを画面全体にしいたのですがこれが大失敗。またもや乾ききらない間に絵肌に触れたので一部絵の具が伸びてしまったり、その修正作業に追われるうちに画面は明るい所と暗い所が混在した斑模様に。更にホワイトによって画面が白く霞んだ結果、直前まであったクリアな透明感の魅力も減退してしまったのです。

そしてこの後最終的に六段階目でCGと油彩にお互いの画像を上乗せしたのがこのページ冒頭の完成図になります。CGの方は順当に仕上がり概ね満足していますが、問題は油彩の方。直前の失態は紙を一枚乗せるだけではカバーできず、その状態では先ほどのクリアな発色も透明感も殆ど感じられませんでした。結局同じ紙を更に一枚重ねる事になり、これによって空間性や発色は多少復活しましたが、如何せん二枚重ねた為、下の絵の具よりも二枚分の印刷の表情の方が勝ってしまい、特に暗い男の部分は本来絵の具のみで描いてきた部分であるはずなのに、それが完全にマスクされてしまいました。他の部分も大体似た状況で、実物ならばまだ多少は多層化している状況を確認できますが、写真だと完全に潰れてしまって全く分かりません。

またクリアさが無くなってしまったのは最後の紙の印刷を、いつもよりも全体的に薄くした事にも原因があるかもしれません。これもまた画面を明るくする為の試みだったのですが、結果として多少明度を回復させる事はできました。しかしその分コントラストが弱まり、これが画面のクリアさや透明感を損なわせる事にも繋がったのではないかと分析します。

3.反省

作業全体を通して言える事は、CGの方が順調に少しずつ質を高めながら多層化していったのに対し、油彩の方は各段階毎に表情を大きく変え続けていて一定では無いという事です。これは油彩での僕の描き方が同じ表情を再現するのには向いていない技法であるという事も言えますが、最も重大なのはデジタルの作業環境が使い手が何か起こさないと何も起きない、極めて理路整然とした状況であるのに対し、アナログの作業環境は使い手が何もしなくても、あらゆる自然環境の差によって刻一刻と変化していく極めて混沌とした状況であるという、この差にあります。

ざっと今回感じた事だけでも温度や湿気だけでも紙の張り具合は大分変わってくるし、絵の具の状態も当然一様ではりません。また水彩でもアクリルでもなく油彩という点も、環境にデリケートに作用されやすくコントロールがし辛い一因です。しかし当初の目論見としてはそれこそ望んだものでもあるのです。整然としたデジタルと、混沌としたアナログ。この差を敢えて極端化した上で、それぞれの長所を共有しつつ弱点を克服する事で、初めて本懐を遂げる事が出来るという思いがありました。

そして結果はどうだったのか。確かにCGだけでは白黒の男の表情は再現し辛いし、女の子も同様に油彩だけではここまでフラットにできない。その点では多少なりとも成果があったのは確かですが、しかし全体的に見るとCGはあくまでもCGであり、油彩はどこまで行っても油彩です。僕が理想とするところまで両者の距離を詰める事は出来なかった。多分これを果たす為には、両者をよりその技法でしか得られない表情にするところから始めないといけないと思います。現状ではCGも油彩も、相手の技法で再現するのは確かに難しいけれども不可能ではない。これを不可能なレベルまで極端化した上で、距離を縮める事を達成させないと成功とは言えないかもしれません。

またメイキングでも触れたように、油彩の方が最後に大コケしたのもとても痛い。しかしここで少し言い訳させてもらうと、初めての試みだったので仕方がなかった部分もあります。オイルの配合や紙の種類は最後まで悩み続け、毎回手を変えながら試していたら、まさか最後の工程でハズレくじを引くとは。しかもそうでありながら、僕はこの技法の可能性やまたはその無さを殆ど把握しきれていない。それほど奥が深いという事なのかもしれませんが、少なくとも今回は完全敗北。これはもう悔しくて仕方がありません。

ここまでは実際の作業中の反省点について書きましたが、一方コンセプトにも問題性を感じています。その中でも最も良くないのは、本作が展示してある状況を実際に見ないことには成立しない形態をしているという点です。幾らオタク・サブカルとアートがどうのこうの、デジタルとアナログがどうのこうのと御託を振り回した所で、本作自体は結局アナログに完全に依存してしまっている。これでは両者の統一何て幾ら頑張っても出来るわけがありません。デジタルの中で成立する、というよりもPCの前に座っているだけでも味わえるものを作らなければ。それでいてアナログの要素も関わってこないといけない。

またオタク・サブカルとアートの関係性をアナログとデジタルの図式に置き換えるのはあまりにも発想が単純過ぎやしないか。更にCGと油彩とは言うけれども、実はそれぞれの間には更に印刷と写真という工程が挟まっているわけで、このコンバーターが無ければ作品は成立しません。またこれらが作品に及ぼす効果はCGと油彩の作業そのものと同じくらい重大ですが、本作にはそこへのフォローが殆どない。そして制作期間二ヵ月半は、この程度の規模の作品にしてはあまりにも時間が掛かりすぎだ!問題は山積みです。

実はこれらの問題を一挙に解決するアイディアは既に出来上がっています。今回試みた事から派生したものですが若干内容は変わり、USTや同人誌等今回は扱いきれなかったオタク・サブカルの文脈へも言及していける内容になります。多分時間も本作ほど掛からない。正直に言ってこのアイディアには自信がありますが、しかし本作も当初はそう思っていたからなぁ。兎に角作業ミスによって全てを無駄にするような羽目は起こさないように細心の注意をすると共に、技術をより高めなければ。そしてこの次の作品の為に、本作の失敗はあったのだと思えるようなものに仕上げなければ。次回こそは成功させられるように頑張ります。

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