Top Diary Review Text Gallery Link

2010/06/09- Hecatoncheir 2/ フンババジェット5秒前


約一ヶ月ぶりの更新です。滞っているというレベルじゃないです。ヤバイです。忙しくて最近はゲームも禄に遊べてやいない。しかしそんな状況の中、今月5日に行われたHecatoncheir 2というイベントに僕もちゃっかり参加しておりました。しかも当日は主催者のNEMOさんChimpamzeeさんのライブ配信に虎硬さんと共にゲスト出演もさせて頂きました。殆ど一方的に押しかけた様なものでしたが、今回このような機会を作ってくれた主催のお二方には厚くお礼申し上げます。

知らない人の為に簡単に説明すると、HecatoncheirとはPixivの創作絵描き向けのイベントで、参加者全員が共通のお題の下、決められた日に一斉に作品アップロードしようという企画。Pixiv内で創作絵描きは冷遇されている立場にありあますが、そんな彼等をHecatoncheirという共通の名詞を持った集団として打ち出す事で、創作絵描きという存在の認知度を上げ、立場向上を図っていこうというものです。

この企画が最初に行われたのが今年の一月で、今回が第二回目。僕は一回目の時は当日にその存在を知って悔しい思いをしたので、二回目が行われると聞いた時には速攻でエントリーしました。こういう挑戦的な企画は応援したいし、反対に現状の問題点を参加者の立場から検証したいという思いもありました。後は個人的にここ最近の鬱憤を晴らす場も欲しかった!こういう色々な思いがある中での参加でしたので、終わった後の思いも色々。今回はその辺を「自分の作品について」と「Hecatoncheir 2について」の二項に分けて書いていきたいと思います。

■自分の作品について

僕が今回出した作品は『フンババジェット5秒前』というタイトル通り、要するにアレです、急行電車で便意催してヤバイ!っていう絵です。「こうげき/ぼうぎょ/どうぐ/じゅもん/の四つから一つ選択」というお題を聞いた時、多分ファンタジー的、SF的絵が沢山出てくるに決まってるよな~と思ったので、敢えてそこから外して更にお題をちょっとバカにした作品にしようという事で、こういう内容になりました。

でも真面目に考えて電車でお腹が痛くなってしまったというシチュエーションはこれ以上無いくらい今回のお題に合致していると思うんですよ。経験者なら分かると思いますがあの瞬間というのは、それはそれは凄まじい駆け引きが行われているわけじゃないですか。定期的に襲ってくる便意という攻撃に、肛門に力を入れて必死に防御し、頭の中では「後二駅だ!頑張れ、もう少しだ!耐えろ!」と呪文を唱えまくる。襲ってくる便意は凌ぐ度にレベル上がって凶悪になるし、もし負けてしまった場合は今度は周りの乗客に対しての攻撃になってしまう・・・ 正に現実社会におけるRPGなんですよ!

こうしたおバカなノリの主題である一方で、これにはもう一つ僕の最近の鬱屈とした、言い換えればまるで便秘の様な生活のメタファーとしての意味もあります。今までHPの方では触れてきませんでしたが、何を隠そう僕は現在就職活動中でして、ゲーム業界を受けているのだけれど、これがお世辞にも上手く行っているとは言い難い。

就職活動、それもゲーム業界については、スキルも当然ですがそれ以上に社会や会社組織への適合力を見られている、というのがこれまでの経験や色々な人と相談した上での実感です。会社は慈善事業でもなければ作家集団でもないわけで、そこで自分の作品性がどうのこうのとか言う輩が来た所でそれはお門違いの何者でもない。もっと会社のシステムの一部として効果的に機能し得る従順さと柔軟さを示さなければならない。その様に自分を曲げられる覚悟がある事を示さなければならない。

このように大学4年の就活の時点で既に社会人性を求められているという事は、言い換えれば既にモラトリアム期間、完全な学生気分でいられる時期は終わったという事でもあります。実際最近は就活向けの制作や作業ばかりで、1月の『Message』以降ちゃんとした形の作品は一つも作れていなかった。これはもう考えが甘かったとしか良いようがないのですが、こうしてモラトリアムを失いつつある事でその価値に改めて気づかされて、とても寂しい気持ちになってしまったのですね。

だからこそそういうモラトリアム的な価値を強くアピールしていこうという趣旨のHecatoncheirはより応援したいという気持ちになったし、僕自身もそれをきっかけにして一時だけでもモラトリアム的作品の制作に立ち返りたかった。ついでにどうせやるからには就活で溜まった鬱憤もぶちまけたかった。思いっきりガキ臭い主張をしたかった。だってそれが許されるのがモラトリアムの価値なのだから。

という事で何が社会人だ、何がサラリーマンだ!そんな社畜にはウンコぶっかけてやるぶりぶりぶり~!みたいな絵になったわけです。作中で便意を堪えている女の子は如何にも電車に乗っていたら突然来てしまったって感じですが、しかし画面下部には使用済みのイチジク浣腸が転がっており、つまり実はわざと漏らそうとしているんです。就活で心が便秘気味の僕が、Hecatoncheirという下剤を使ってここぞとばかりに快便したい!そういう気持ちを暗に込めているのですね。


しかし上手く行かなかった部分もあって、当初は本当にPSP持ったサラリーマンに対しウンコを噴射している図にしようと思っていたのですが、画面が猥雑になってバランスが悪くなる上に、折角のスーツの描き込みも殆ど隠れてしまうという事でやめました。また便意を堪えているとも就活に対する不満ともとれるような呪文が女の子の口から出ていて、それが身体を取り巻きつつお尻に繋がっているというエフェクトも同様の理由で却下。

エフェクトみたいな表現は始めにラフを描いたら後は最後の仕上げまで手付かずってパターンが多いので、大なり小なりの見込み違いは良く起きます。特に今回のサラリーマンに対するぶっかけは就活に対する思いの象徴だったので、これを却下したのはテーマが宙ぶらりんになって痛かった。またこれがなくなると床に散乱したポートフォリオの意味も良く分からなくなってしまい、全体的にメッセージ性が後退して単なるギャグになってしまった気がします。

まぁ逆に捉えれば直接描写が無くなった事で、下品なテーマでありながら上手く笑いに持っていけたかなとも思いますが、やはり理想的なのは全ての要素を両立する事です。それにはまずミクロな作業に陥りがちな描き方を改めて、画面全体に均質に手が入る様にしていかなければ駄目ですね。まだまだ課題は多いです。

■Hecatoncheir 2について

Hecatoncheir 2への思いや参加した理由はここまでにも色々書いてきましたが、やはり一番大きいのは純粋に応援したいという気持ちからです。僕自身はPixivは最早新しい事を出来るような場所ではないと大分前から見切りをつけていたのですが、それでも尚挑戦しようという気持ちは大いに買いたい。それにPixivは終わったなんて言っても、あそこから創作活動を始める若い子は依然として沢山居るはずだし、それならば二次創作やある特定のジャンル以外にも、彼等が関わっていけるような入り口はあった方が良い。

しかし今になって応援だとか言い始めたけれど、以前の僕はこういう事に対しては応援どころか寧ろ否定する様なスタンスでした。やれ明確なビジョンが無いだとか、やれ井の中の蛙だとか。だからこそPixivフェスタの時はボロクソに書いたわけですね。ところが失って初めてその価値が分かると言うのかな。前項でも書いたとおり僕自身の中からこういうモラトリアムな時間が無くなって来た事で、あああれはとても素晴らしいものだったんだ、肯定すべきものだったんだという風に考えが変質してきたのです。

それに今の僕はメランコリックな理由以外にも、本気でモラトリアム的なものが新たな価値を生み出すのではと信じている。特に先月の勝間和代さんとひろゆきさんの対談と、もっと前のGEISAI大学のカオスラウンジUSTを見てから強くそう感じるようになった。これらの二つは当時ネットでは相当な話題になったから今更説明するまでもないでしょうが、要するに両方とも楽しく幸せに感じられればそれで良いという今の若者世代の考えと、それは違うという前の世代の考えが衝突しているという構図だっと思うんですよね。

ひろゆきさんの方は勝間さんに対して金銭と幸福はイコールではない、本人が幸福に感じられるのであればどんな生き方でも肯定されるべきと言い切っていた。一方のカオスラウンジの方は村上隆さん達先人を信奉している部分もあって、だからこそあの場でコンセプトを提示しろと言われても何も言い返せなかった。しかし向いている方向はやはりひろゆきさんと同じで、本音は楽しいと感じられるかどうかが一番大事でコンセプトがあろうがなかろうが構わないというスタンスだったはずです。

これらの考え方は一見すると目的志向が無い、ハングリー精神が無いヘタレな若者という烙印を押されがちですが、実はこれこそが今の若者の典型的メンタリティであり、それを否定するのではなく逆に肯定していく事が新たな価値を生み出していくのに繋がっていくのではないか。実際ひろゆきさんはそういう意見で勝間さんを完全に押し切っていたし、そうでなくとも2ちゃんねるという彼が関わったものの生い立ちが全てを証明しているのではないか。あれらに社会を変えてやるみたいな大義名分が当初から明確にあったわけではないが、その面白さがどんどん波及して社会全体に影響を及ぼすまでのものになったのではないのか。

だからまず重要なのは自らの純粋な楽しさや幸福を追求し、それを実行に移せる行動力。それがちゃんと芯が通っていて貫き通せれば、理屈だとかその他必要な物は後からついてくるはず。少なくとも若いうちはそういう気持ちで全然構わないと思うんですよね。しかし悔しいけど僕は屁理屈こねるばかりで実行できるバイタリティが今まで無かった。だからこそカオスラウンジには期待しているし、同じ理由でHecatoncheir 2にも期待している。まだまだ粗が目立ったり細かい所で気になる部分はあるけれども、それにも増して僕には成し得ない事が彼等なら出来るだろうという事で、強く応援したい気持ちなんです。

但し、前提として応援したい気持ちがある事は十分説明したけれども、寧ろだからこそ不味いと感じた事に関してはちゃんと指摘しておくべきかなとも思います。細かい事はUST配信の時に喋ったので、ここでは一番重要な事だけ書いておきたい。それはズバリ外に向けて広がっていける力があるかって事です。先ほど自らの純粋な楽しさや幸福を追求すれば良いとは書きましたけれども、しかしそれがどんどん内に篭って行く引きこもり的な性質だと、少なくともHecatoncheir 2みたいに多くの人の参加の上で成り立つ企画では不味いわけですね。もっとオープンで入り易く、外部に波及していく様な勢いがなければいけない。そうでないとPixiv内での創作絵描きの立場向上も図れないと思うんです。

その点で言うと今回の「こうげき/ぼうぎょ/どうぐ/じゅもん/の四つから一つ選択」というお題はあまり良くなかった。配信の時NEMOさんやChimpamzeeさんは参加者がなるべく自由に描けるようにお題を四つから選べるようにしたと仰っていましたが、四つの選択肢という以前に如何にもRPG的な雰囲気なところが、無闇に企画の方向性を規定してしまうのではと僕は思った。

創作絵描きと一口に言っても色々な人が居るわけで、RPG的なものが好きな人もいればそうでない人もいる。好きではない人にとっては単純に参加する上でプレッシャーになるし、逆に好きな人が集まりすぎても、今度は出てくる作品が本当にストレートなRPG的作品ばかりになってしまって、余計に周りからそういうイベントなのではないか、そういう絵を描かないといけないんじゃないかと感じられてしまう恐れがある。また単純にRPGとなると既にPixivファンタジアというマンモスクラスの企画があるわけで、それと被って劣化版みたいに見られてしまうのも大変不味い。

それよりかはやはり前回の「トリオ」というテーマの方がニュートラルというか、テーマ自体に付加要素が無かったので、多くの人にとって入り易い、連想し易いものだったかなと思います。勿論イベントのカラーを決めるのは主催者なので、いやこの路線で行きたいから良いんだと言われればそれまでなのですが、個人的にはもっとオープンであって欲しい。

それさえ気をつけてくれれば、後は勢いでガンガン突っ走っても良いんじゃないかと思う。兎に角外に波及していく力を忘れずに。それがあれば僕はこれからも応援していきたいし、次の機会があればまた参加したいです。是非頑張ってください。


All trademarks and trade names are the properties of their respective owners.
Copyright (C) BaNaNaBoNa 2008-2010 All rights reserved.